REPORT
小山ティナ 両極の環境から見えた“自分の芯” ──テクノロジーの先端世界から日本へ 〈前編〉

Twitter社でプロダクトデザインマネージャーを務める小山ティナさん。生まれ育ったスイスから、東京、そしてシリコンバレーと、歴史や文化が異なる環境に身を投じることで見えてきた、人間が求める幸福の本質、そして日本に秘められたポテンシャル。レポート前編では、小山さんのライフ・ストーリーをなぞりながら、Twitter社で働くようになった背景に迫ります。

スイスでの幼少時代
スイスでの幼少時代

原(NDC)

ITコミュニケーションの技術は、世の中に新しい価値を生み出し、事業として加速させていく力を持っています。世界の中で何に注目しアクセルレイトさせていくべきかというのは、僕たちの会社の課題でもあります。ティナさんはグローバルな視点から世界をスキャンして、そのヒントは日本にあると気付いたそうです。本日はその気づきに至った経緯や、西海岸のクリエイティブの状況、あるいは世界のクリエイティブの趨勢についても伺えればと思っています。

小山

私は3年ほど前からシリコンバレーのTwitterで働いています。Twitterではデザインとエンジニアリングの架け橋になるデザインシステムと、世界に向けたアプリ開発を担当しています。まずはなぜ私がTwitterで働くようになったか、個人的な歩みからお話させていただきますね。

私の父はスイス人、母は京都生まれの日本人です。生まれ育ったのはスイスで、牧歌的で自然豊かなところです。父は建築家で、実家は外見はモダンですが、家の中には日本の文化があふれていました。母は「子供達に日本の文化を伝えるのが自分の使命」と感じていたようです。毎日の食事や、季節の行事、日々使う食器や道具まで、生活のすみずみを通して日本の文化を私たちに伝えてくれました。おかげで日本が大好きになり、日本語も話せるようになったので、感謝しています。

スイスというのはかなり保守的で“みんな同じようにすること”が求められる土地柄です。私はアジア人というマイノリティな上、自分の意思や意見を貫きたいタイプだったので、正直、子供時代は過ごしにくくて、つらい思いをすることも多かったです。だからこそ、大好きな日本への想いが募りました。夢の中で日本に暮らして、目が覚めて「あれ、どうして私はスイスにいるの?」と思ったこともあるくらいです。

小山 ティナ
プロダクトデザインマネージャー

Twitter社プロダクトデザインマネージャー。スイス人の父と日本人の母のもと、スイスで生まれ育つ。チューリッヒ・ユニバーシティ・オブ・アーツ・アンド・デザイン卒業後、来日。東京のデザイン業界で約6年間過ごしたのち、アメリカ・シリコンバレーに移住。2016年twitterへ入社。デザインとエンジニアリングの架け橋となるデザインシステムを担当している。1児の母。
@tinastsh
swissjapanese.com

インターネットとの出会い
インターネットとの出会い

小山

成長するにつれ、私が興味をいだいたのがデジタルの世界でした。12歳頃からインターネットを始めて、これはすごい可能性を秘めた世界だと思いました。コーディングを覚えて自分でWebサイトを作ったりと、のめり込みましたね。自然と、将来はデジタル関連やデザインの仕事に進みたいと考えるようになりました。
大学へと進学し、デザインを専攻してビジュアルコミュニケーションを学びました。デザインのシステム化にすごく興味があったんです。当時開設されたばかりのインタラクティブデザイン部門とコラボレーションしてデジタル分野の製作も色々やりました。

憧れの地・日本へ
憧れの地・日本へ

小山

卒業を迎え、就職を考えた時、スイスは刺激が乏しくて変化がない、頭が堅い人が多くて息苦しい。もっとクリエイティブでイノベーティブな世界で働きたい!と思い、東京へ行く事を決めました。

子どもの頃から大好きだった日本。でもいざ実際に東京に住み始めると、刺激的ではあるものの、モノや情報が多すぎて、ノイジーでディストラクション(散漫)な街だなあ、なんだか疲れるな、と感じました。反面、住んでいた時はつまらないと思ってたスイスは、意外にクリエイティブだったんだな、と気付きました。離れてみて初めて良さがわかったんですね。

一方、日本の地方に魅力的な文化がたくさん残っていることも知りました。私が日本にいる間、母が各地のもの作りの職人さんのところに見学に連れて行ってくれたんです。すばらしいプロダクトがたくさんあって感激しました。でも、後継者が見つからなくて、技術が途絶えてしまう危機に晒されている事実も知って、ショックを受けました。

日本企業での理想と現実
日本企業での理想と現実

小山

仕事面では、理想と現実のギャップに直面しました。日本で初めて働いたのは広告代理店の下請けの制作会社。東京は先進的な場所だろうな、という期待に反して、ルールが細かくて効率も悪いことも多く、全然クリエイティブじゃないなとがっかりしました。何より仕事がとてもショートタームで終わってしまう点がつらかった。大学を出たての素人同然の私が、1日に何コンセプトも考え、ひと晩でデザインをつくる。全然納得のいくモノが作れていないのに、それがOKと言われ、プロモーションサイトになって、1、2ヶ月で消えていってしまう。効果や成果があったのかもわからない・・・・・・。それが嫌になって、もっと長生きするデザインを作りたいと考え、ブランディングエージェンシーに転職しました。

しかし、ブランディング業界も全然テクノロジーに追いついていない。Webサイトもきちんとデザインして構築するべきなのに、理解してもらえなくて。やりたいことができない一方で、仕事は激務で待遇がいいわけでもない。日々仕事に押しつぶされて、デザインが嫌いになってしまいそうでした。日本企業で働くのは私に向いていない、と思っていた矢先、スイス人が代表を務めている東京のデザインエージェンシー『iA(インフォメーション アーキテクツ)』が声をかけてくれ、働けることになりました。

FOCUSするためのアプリが大ヒット
FOCUSするためのアプリが大ヒット

小山

iAの代表であるOliver Reichensteinはユニークな人で、WebがFlashやアニメーション全盛だった2006年当時に「ウェブデザインは95%タイポグラフィーだ」とTwitterで発言し、話題になった人物です。私も日本に来る前から注目していたクリエイターでした。その会社で私が手がけたのが「iA Writer」という、FOCUS(集中)するためのアプリの製作です。

このアプリはとにかくミニマル。フォーマッティングゼロ、フォントも1種類、文字サイズも1つだけ。当時アプリというのはどれだけ特徴的な機能を盛り込めるかを競っていたのに、このアプリは真逆。しかしこれが大成功しました。ノイジーな東京で、とことん機能を削ぎ落としたアプリをみんながわざわざ買う、それだけ集中したいというニーズがあるというのは意外な発見でした。

テクノロジーの最先端へ
テクノロジーの最先端へ

小山

もともと、私は子供の頃からシンプルなデザインが好きで、大学の卒業製作でも「エッセンシャリズム」という題でシンプリシティについて研究したほど。今でこそシンプリシティはポピュラーな考え方になっていますが、当時はマイナーでした。しかし、「iA Writer」の開発に携わったことで、煩雑になる一方の世界で、本質的な機能やデザインの価値が高まっていることを知ることができました。

アプリ開発に関わってみて、一度テクノロジーの最先端に行ってみたい、という想いが高まりました。いよいよデジタル世界の最前線、シリコンバレーへ移り住むことになります。

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