NDC LUNCH
MEETING

渡邊恵太 明治大学 総合数理学部 先端メディアサイエンス学科 准教授

Event Date : 2019.07.10

渡邊恵太 明治大学 総合数理学部 先端メディアサイエンス学科 准教授

先進のテクノロジーや独自の発想で、デザインの可能性を広げる人たちがいます。さまざまな領域を横断し、これからのデザインをともに考える対話の場「NDC LUNCH MEETING」。今回は、明治大学准教授で「融けるデザイン ハード×ソフト×ネットの時代の新たな設計論」の著者である渡邊恵太さんをお招きしました。

インターフェイスデザインの理想は“透明” ───渡邊
インターフェイスデザインの理想は“透明”
───渡邊

渡邊

今日のテーマは、インターネット前提のインタラクションデザインということですが、「融けるデザイン ハード×ソフト×ネットの時代の新たな設計論」で考察している、ものづくりのための重要キーワード「自己帰属感」をテーマにした話とIoTについてお話ししたいと思います。

「融けるデザイン ハード×ソフト×ネットの時代の新たな設計論」

さて、iPhone が登場したときに、そのユーザーインターフェイスに驚かれた方も多かったと思います。なぜ、触っているだけで楽しくて、こんなに気持ちがいいのか。その理由を考察する前にまずユーザーインターフェイス、すなわちモノと人との境界面についてお話ししたいと思います。その歴史は、人間が道具を使い始めるところから始まります。最初は棍棒で獲物を殴るような直接的なこと、次にテコの原理で大きい力を得るようになり、エンジンが入ってくるとレバーを押すだけになり、さらに情報機器が入ることでボタンを押すだけとなった。原因と結果がだんだん間接的になって、関係がわかりにくくなりました。そこでユーザーインターフェイスのデザインが重要になるわけですが、その理想は何かというと、実は石器時代のような道具のあり方なんです。鉛筆を使うとき、鉛筆の使い心地がいいといつも考えているわけではないですよね。鉛筆は透明化して意識に上ってこない、また身体の一部になっているという言い方もしますが、この状態が道具としての理想だろうというわけです。インターフェイスデザインも透明な状態であることが、一種の理想であると考えます。

渡邊恵太(Watanabe Keita)
明治大学 総合数理学部 先端メディアサイエンス学科 准教授 Cidre Interaction Design株式会社 代表取締役社長

1981年生まれ。インタラクションの研究家。知覚や身体を活かしたインターフェイスデザインやネットを前提としたインタラクション手法の研究に従事。2009年慶應義塾大学政策メディア研究科博士課程修了。2010年よりJST ERATO五十嵐デザインインターフェースプロジェクト研究員。東京藝術大学非常勤講師兼任を経て2013年4月より明治大学 総合数理学部 先端メディアサイエンス学科 准教授。Cidre Interaction Design株式会社 代表取締役社長。

画面の中に自己帰属感が生まれる───渡邊
画面の中に自己帰属感が生まれる
───渡邊

ではこの透明性を、どうやって実現するのかとなったとき、「自己帰属感」という考えを使うと、設計可能かもしれないということがわかってきました。この言葉は、私が考えたものではなく脳科学や認知科学で議論されているキーワードです。自分の手は自分のものであるという感覚は、脳に損傷を受けたりすると損なわれることがあるのですが、この手は、他人のものではなく自分の手であるという感覚を、画面の中のカーソルに対しても検証できないかと考えました。偽物のカーソルが多数ある中に自分のマウスと連動するカーソルが1個だけあるというもので、この中から自分のカーソルを発見できれば、それは色・形でなく動きのみの情報を通じて自分のカーソルを発見していることになる。これはカーソルに対しも「自分」を感じていると言えるのではないか。やってみるとだいたいの人がダミー数50個でも自分のカーソルを4,5秒で見つけられます。この実験で『画面の中に「自己」帰属感が生まれる』ことがわかりました。ここでiPhoneに戻りますが、iPhoneにはカーソルはないけれど、画面そのものの動きが指と連動して動くわけです。その結果、自分の身体がそこまで延長している「自己帰属感」が生まれるわけです。昨年Appleの開発会議でも、開発者がiPhoneは身体の延長であると講演していました。

自己帰属感は体験の質を左右する───渡邊
自己帰属感は体験の質を左右する
───渡邊

最近映画館では4DXという椅子が振動したり、臭いが出るものがありますが。没入感が削がれるという意見もあります。例えばゴジラの背中にミサイルが当たったときに自分の椅子が振動したら「あれ? 自分はゴジラなの? 」となっておかしいことになる。爆風とか何でもかんでも振動にマッピングしてしまうと自己帰属感という観点からみて、体験がまったく別のものになってしまいます。自己帰属感とは、私を左右する存在、すなわち体験の質を左右する存在です。触覚とか嗅覚とか、体験をリッチにするためにいろいろな装置を付けたりしますが、それは触覚が欲しいというより、自己帰属感の方が欲しかったのではないか。ゲーム機のコントローラーに振動をつけたりするときには、没入感が本当に増えるのかよく考えて、自己帰属感を設計に取り入れることが大事だと思います。

情報の道具化───渡邊
情報の道具化
───渡邊

IoT の話しに移りますが、この話しをするときはいつも「検索って本当に便利でしょうか」という話をします。確かに便利ですがなにが問題かというと、美味しいレシピが出てきたらそれに基づいて、結局は自分が作らなければならない。それを「ググるは易し、行うは難し」といっているんですが、行動までは支援してくれないわけです。そこでやったのが「情報の道具化」です。例えば、計量してくれるスプーンは、「30グラム入れてください」となったら、スプーンの底が上がってきて30グラムしか入らないスプーンになる。そんなWebにある情報を実世界に戻す、情報の道具化といった取り組みをやっています。

これからつくるものは、インターネットに繋がるIoT───渡邊
これからつくるものは、インターネットに繋がるIoT
───渡邊

日本の家電業界では、だいたいインターネットは家電製品のオプション的に捉えられていると思いますが、そうした状況の中で「exUIプロジェクト」というのがありまして、それを説明します。ちょっと話が飛ぶようですが、3Dプリンタは、これがあれば電子レンジとか自分で製造できるとイメージしたわけですが、実際のところ学生たちがやってみるとCADでインターフェースの部分の穴を開けたりするのはかなり面倒くさいし、合わなくてやり直したりが面倒だねと。そのとき、ちょっと待てよと、これから作るものってインターネットに繋がるIoTだよね、そこにボタンとかいるのかな? となってボタンやLCDとかすべて取ってしまえと。ユーザーインターフェイスはスマホ側に外在化してしまえばいいのではとなったわけです。そういうわけでexUIというのは「ユーザーインターフェイスの外在化」という意味です。

スマホは家電を操作するのではなく、定義するものへ───渡邊
スマホは家電を操作するのではなく、定義するものへ
───渡邊

メニューが全くなく真っ白な箱の自動販売機を作ってみました。スマホに商品が選べるメニューがあり課金もスマホでできます。多くの人は、製品にプラス・マイナスがあれば音量かな? と推測しますが、ユーザーインターフェイスのあるせいでその製品を規定することになります。それを取っ払ってしまってスマホから定義できるようにすれば、製品の価値というのは自在に変更することが可能です。ここがexUIのポイントです。つまりスマホは家電を操作するものではなく、家電を定義するためのものとなります。exUIにより、コストダウンが図れて、自由度が上がり、スタイリングが良くなる。他言語に対応できる。使われない機能をすぐやめられるなどを、利点がいろいろあります。例えば、扇風機でトウモロコシやキュウリを冷やすと、ちょうどいい冷やし具合になるという声があったとして、それを製品に取り入れようとなったとき、ハードウェアでやったら年に一度しかモデルチェンジできないからという理由で商品化に慎重になりますが、もしexUIだったらシーズン毎にユーザーインターフェイスを替えていくこともできるようになるわけです。  
真っ白い自販機は極端だとしても、自販機の中には現金が入っているので、銀行と連携したアプリを起動すればATMになるとか、イベント時には、スロットマシンになって当たりでジュースがガシャガシャでてくるとか、災害時には水を配給できるようにするとか、自販機の飲物のメニューは同じでも「自販機」と定義しないことで、さまざまな体験価値を提供できるわけです。

真ん中にデベロッパーが入ることの意味───渡邊
真ん中にデベロッパーが入ることの意味
───渡邊

これからは、超個別多様、幸せ、価値感を許容する時代がやってくると考えます。私たち設計サイドはどうやってその多様な価値にそった製品や技術を提供できるだろうかと、ユーザーに添ってきました。しかし、ユーザーにより添うがあまりに行き過ぎると、扇風機にきゅうりを冷やすボタンを付けようなんて話になるんですよね。これが欲しい人がいたってせいぜい100か200で、実際、それを製品化するかといったらしないわけで。結果「ユーザーは多様」というだけで答えは出ないわけです。この状況をどう乗り越えるか。ここでP(プラットフォーマー)D(デベロッパー)U(ユーザー)の切り分け方が、要になってきます。例えば、Appleの人がユーザーを観察して製品をリリースしているとは思えない。で、何をしているかというと、プラットフォーマーがデベロッパーに対して豊かな環境を作り、たくさんのデベロッパーを抱え込み、そのデベロッパーたちがユーザーを観察してアプリを作る。このデベロッパーたちがデザイン思考で身近なニーズを探索し価値を作っていく。この、“真ん中にデベロッパーが入る”ことで、実に多様なアプリの発想が生まれるわけです。プラットフォーマーは、デベロッパーの開発体験を高めるような、あるいは作りたいと思わせるようなデベロッパーエクスペリエンスを考えなきゃいけない。デベロッパーはユーザーがどういったことが嬉しいかを考えなきゃいけない、というわけです。これによってプラットフォーマーは、デベロッパーを挟むことで非常に不確実性の高いニーズ探索をデベロッパーに任せることができる。PDUの構造にすることでAppleも自分でアプリを作らなくてすむわけです。

プラットフォーマーの役割───渡邊
プラットフォーマーの役割
───渡邊

先ほどDX(デベロッパーエクスペリエンス)について触れましたが、これはとても大事です。インターネットによって個人の開発者やクリエイターが参加できるようになりましたが、個人の開発したい、作りたいという思い、そのことでうまみを創出できるかが大事になります。そういう人たちをApple、グーグル、マイケルソフトは開発者会議として集めて、エンカレッジしています。日本の企業ではハッカソンなどをやってもあまりうまくいきません。なぜなら日本企業は自分たちがデベロッパーだからです。ハッカソンをやったとして、出てきたアイデアに対して「社内で散々考えたアイデアと同じだけど・・・」となります。一方プラットフォーマーだと違います。IBMにはワトソンというプラットフォームがありますが、ハッカソンをするとなると、開発者やユーザーが集まり、いいアイデアに対しては100万円とかの賞金を渡し、これで起業してみてはどうですかとエンカレッジする。IBMとしては自分たちがやるかどうかは関係なく、そのアイデアで起業した会社が成功すれば自社プラットフォームになってくれて、回り回ってお金が入ってくるという仕組みになるわけです。日本でハッカソンをやってもうまく行かない理由というのは、プラットフォーマーではないからだと思います。本当の意味でのプラットフォーマーは何をするかというと、世の中全体を見渡して、こういうユーザーがいるからこういうものがいる、こういうユーザーインターフェイスを提供してあげたら、デベロッパーの新しい開発に役立つ、そういうことを考えたりします。一つ優れたユーザーエクスペリエンスを作って、それを他の人も改造できるようにプラットフォームを作っていくことが必要なのではないかと考えています。

鍋田(NDC)

洗濯機も自販機もプラットフォーム化する可能性があるということでしたが、単機能のままで効果的というものもあると思います。どういうものがプラットフォーム化するとメリットがあって、どういうものが単機能で価値があるとお考えですか。

渡邊

スマホは多機能端末と言われますが、実はアプリを立ち上げれば単機能になるので、多機能を単機能に見せることに成功した例だと思います。大切なのは、プラットフォームとして開放した時にデベロッパーが入っていきたいと思う環境かどうか、それで食べていけそうかどうか。そういう対象でないとアプリを作る人が現れないと思います。

岩﨑(NDC)

音声入力はどういう位置づけとして考えられていますか。

渡邊

音声入力のexUIだと思います。洗濯機もユーザーインターフェイスを持たなければ、アレクサなどをUIとして使うことができる、そういうことの、ある種の準備になり得ると思います。設計を分離することでユーザーインターフェイスをそのつど最適化できると思います。

細川(NDC)

ソフトウェアの価値がどんどん上がっていく状況になると思いますが、ハードウェアはどうなっていくでしょうか。

渡邊

バーチャルリアリティーで体験の消費をすませ、物質は極めて最小で使う、例えば生命の維持を担うためだけに使われていくのではないか。極端すぎるけれど個人的にはそう思っています。例えばペットポトルのお茶も液体がこぼれない機構さえあればよいとなっていくのではと思います。今では経済をまわすために物質を作らなければならなかったことが、今後はデジタルにシフトし、最低限のものを作ることになるのだと思います。

原(NDC)

今日のお話を日本のメーカーが聞いたとしたら、どんな具体的な対応をすればいいでしょうか。例えば洗濯機はハードウェアとして、どんな機能をあらかじめ備えておけばいいでしょうか。

渡邊

スマホは、安く入手できそうなセンサー群を入れてリリースして、開発者会議、デベロッパーやユーザーを見ながら、どんなテクノロジーを入れるかマーケティングしていると思います。洗濯機も機能を少しずつアップデートしていくということになるのではないでしょうか。ただ事故を回避して安全性を高める配慮は必要です。以前、スマホをカイロ代わりにするという驚くような使い方が出てきたりしましたが、そういうとんでもない使い方が開発者に渡ると出てくる、その可能性を信じていく社会にできないだろうか。今までは作り手と使い手は分かれていたけれど、ユーザーが作り手にも回れる世界が出てきた、その作り手と使い手が一緒になっていくような、混ぜられる仕組みが未来なのではないでしょうか。

宮田(NDC)

プラットフォーマーに、個人がいい理由はなんでしょうか。

渡邊

ニーズの多様さという点です。結局今企業は、自分たちにアイデアがでてこなくなってしまったのでユーザーの現場に行ってヒントを探そうとなっている。アラン・ケイの話を浜野氏が考察しています。「《理想のUIなんて存在しない》大事なのは、道具を作るための道具をどれだけ準備できるかが重要である。その意味で、作りやすくすることだけが、使いやすくできるのだと思う。」だとしたら、ユーザーに委ねるけれど急には作れないので、もっと使い手が作り手側に回れるような方法ができないものか、そこを考えているところです。

宮崎(NDC)

インターネット中心設計によってプロダクトの見た目の自由度が上がると思います。そうなるとデザインエンジニアのようなハイブリッド型ではなく、プロダクトデザイナーとUIデザイナーはきっぱりと別れていく可能性があると思いますが、どうでしょうか。

渡邊

デザインエンジニアというのは、過度期的かもしれせん。また再分業が起きる可能性があります。ものの作り方が根本的に変わる可能性があります。インターネットの初期の頃は作り手と使い手が混ざっていた時代で、イノベーティブないい時代だと思います。そういう状態に誰でもなれるようなことが大事だと思います。