INTERVIEW

日埜英気
株式会社新潮社校閲部 校閲者

Event Date : 2018.04.27

日埜英気 株式会社新潮社校閲部 校閲者

ときに日本デザインセンター(NDC)から飛び出して、気になる人の話を聞きに行く「INTERVIEW」。
今回は、読み込みの深さや指摘の鋭さで出版業界にその名が知れ渡る新潮社校閲部にお邪魔し、校閲者として日々さまざまな出版物を校閲されている日埜英気さんにインタビュー。宣伝部次長の馬宮守人さんにもご同席いただきながら、校閲のお仕事や校閲部のことについてお話を伺いました。

赤ペンはほとんど使いません
赤ペンはほとんど使いません

日埜

新潮社には雑誌・単行本・文庫などさまざまな種類の出版物がありますが、僕は普段、文芸やノンフィクションといったジャンルの単行本の校閲をしています。具体的には、「ゲラ」と呼ばれるチェック用の原稿を読みながら、誤字脱字をはじめ文章の内容にまで踏み込んで疑問点や確認事項を書き込んでいくのが仕事ですね。
(大きな封筒から紙の束を取り出しながら……)これは以前担当した単行本の原稿なんですが、著者が書いた文章とは別に「本文9.5ポイント」「43字18行」など、原稿を書籍の形に整えるためのさまざまな指定が書かれた紙が添付されていますよね。編集者が書いたこの指定書と著者の原稿を印刷所に入稿し、その指定通りにレイアウトされた初校ゲラが手元に届いた段階で僕の仕事が始まります。ちょっとゲラを制作順に並べてみましょうか。順に、入稿前の原稿、初校、再校、念校、そして書籍です。チェックが一番大変な初校ゲラをめくってみると、非常にたくさんの指摘が書いてあるのがわかるかと思いますが……。

NDC城島

うわあ、すごい量ですね。ページの余白にコメントがびっしりと。ゲラにある赤字は、すべて日埜さんがお書きになったものですか。

日埜

いえ、僕が書いたのは鉛筆書きの黒い文字です。たとえばそうですね……ゲラのこの部分に「多くの政治的発言権」という言葉が出てきますが、「発言権」に対して「多くの」という言い方はちょっと変だと感じたので「大きな?」と鉛筆書きで指摘していますよね。こういった「?」が付いているものが僕の書いたコメントです。このような感じで、気になった箇所を一つ一つ確認していく地道なことを日々しています。

NDC吉岡

チェックは鉛筆で入れるという決まりがあるんでしょうか。

日埜

あ、そうなんです。明らかな間違いでない限り、僕が赤を入れるということはしません。必ず鉛筆で疑問をお出しして、それを採用するかしないかは著者の判断に委ねているんです。僕らができるのは、あくまで「これは間違いではないですか? 確認してください」という提案で。ですから、たとえば「この段落は全部削除しちゃったほうがいいんじゃないですか?」といったような主観的な指摘は絶対にしないんです。ちなみに赤字は、著者が推敲して自分で書き込むときと、僕たち校閲者の鉛筆書きに対して著者や編集者がリアクションを示すときなどに使われますね。

日埜英気 Hino Eiki
新潮社校閲部 校閲者

株式会社新潮社校閲部 校閲者。1977年生まれ。大学で文学を学んだ後、2004年、新潮社に入社。校閲部に配属されて以来、『新潮』『新潮45』『週刊新潮』などの校閲を担当。現在はノンフィクションや文芸の単行本を主に校閲している。趣味はバイク。母親も校閲者。

3〜4ヶ月かけて一冊の単行本を校了する。初校、再校、念校と、校を重ねるごとに書き込みの文字が減り、ゲラが白く研ぎ澄まされていく。

罪が重いミスは
罪が重いミスは

土屋

フリー編集者の土屋といいます。以前、新潮社さんのWebサイトリニューアルのお仕事に携わらせていただいたご縁で、今日同席させていただいています。私はWebの仕事に携わることも多いんですが、文章をほとんど固めた後で画面に流し込むことが一般的なWebに対して、書籍の場合はまず紙面に流し込んでから校閲していくという点に違いがありますよね。

馬宮

出版物の場合、やはり組んでみないとわからないところがありまして。たとえばほんの少し文章が変わっただけで小見出しの位置がページをまたいでしまうだとか、レイアウトしてみたら文章中で「右図」と表現していた図が左に配置されていたとか。そういう出版なりの事情もあって、先に文章を紙面に落とし込んでから校閲を始めます。

日埜

早い段階でレイアウトして位置のズレなどをチェックしないと、やっぱり怖いですね。というのも、僕が若い頃にしてしまったすごく大きなミスが、まさにレイアウトのミスだったんです。
本を開くとちょうど中央に紙が綴じてある余白がありますよね。この「ノド」と呼ばれる部分は基本的に15ミリ以上のアキが必要だと言われているんですけど、僕はここが10ミリぐらいしかない本を出そうとしてしまって。そうすると、文字が綴じの部分に食い込んで非常に読みづらいんですね。気がついたときにはもう印刷が始まっていたので、輪転機を止めてもらって刷り直して……。結果的に損害金が発生してしまいました。レイアウトのミスは損害が出やすいんですよね。罪が重いんです。

NDC城島

罪が重い。

日埜

他にも罪が重いと言われるのが、装丁まわりのミスです。本文にばかり目を凝らしていて「この表現はおかしいんじゃないか……?」なんて考え込んでいるうちに、あろうことか著者の名前を間違えそうになったりですとか。

馬宮

「大きい文字ほど気をつけろ」というのは、校閲者の間でよく言われることです。著者名やタイトルなんて絶対に間違えないと思うじゃないですか。ところがそこに思いがけないミスが潜んでいます。「にすい(冫)」にすべきところを「さんずい」にしてしまった、なんていうことはいくらでもあり得ますので。

日埜

もう本当に思いがけないところにミスは隠れているので、必ず自分以外の人の目を使ってチェックしています。単行本よりスケジュールが短くスピードが求められる雑誌、たとえば『週刊新潮』なんかは、10人ぐらいで同時に目を通すこともありますよ。

「ミスのエピソードをお話ししましたが、私たちはいつも校閲部のおかげで安心して記事を書けるし、本を出せているんです」と宣伝部次長の馬宮さん。

記者も校閲者も一刻を争う雑誌の現場には欠かせない大至急ハンコ。かつてはこれを上回る猛急ハンコもあったとか。

創業者は校閲者だった
創業者は校閲者だった

NDC関口

10人同時校閲はすごいですね。ところで校閲部には今、何名くらいの方がいらっしゃるんですか。

馬宮

およそ460人いる社員や嘱託・契約社員のうち50人くらいが校閲部に所属していまして、これは出版社の中でもかなり多い方だと思います。新潮社は校閲という部門をすごく大事にしていて、そこを売りにしている部分もあるんですね。「うちは校閲がしっかりしていますよ」と著者に説明して、新潮社で出版させていただくというような。

NDC関口

以前、私も出版の仕事に携わっていたことがあるんですが、新潮社校閲部といえば業界でも名門とされていますものね。

日埜

もともとは、うちの創業者が今の大日本印刷で校正の仕事をしていたんです。実際に自分で校正をしてみると「これは重要な仕事だな」と。そういったこともあって、伝統的に新潮社では校閲部を大切にしてくれているんです。

馬宮

印刷所で校正係をしながら『新声』という雑誌をつくり始めたのが新潮社のルーツで、それが1896年のことです。初代社長には“校閲者”としての逸話も残っていて、あるとき海外文学の日本語訳を眺めていたら「あ、ここ訳が間違ってる」みたいなことを突然言う。それで調べてみたら翻訳者も気がつかなかったような原文の抜けがあったり……。そういう間違いを見つける嗅覚の鋭さは、伝説として社内で語り継がれています。

NDC城島

すごい……。言ってみれば、新潮社は校閲者が立ち上げた出版社だったんですね。

東京都新宿区矢来町71。校閲部のある一画が、今ある新潮社の建物のなかで一番古いと言われている。

歴史と伝統と変人と
歴史と伝統と変人と

NDC城島

そんな歴史と伝統ある新潮社校閲部ですが、他の部署にはない「らしさ」のようなものを感じることはありますか。

日埜

そうですね……なんというか、校閲部は変わった人が多いですね。子どもの頃から辞書が好きで好きで、ついに漢字辞典を作ってしまった先輩がいたりですとか。他にも、150もの言語を学んだことのある人がいたり。とにかく凝り性で、ひとつのことに没頭してしまって現実世界に戻ってこないんじゃないかと思うような人たちがたくさんいます。

馬宮

校閲部らしいエピソードとして私が聞いたのは、部内回覧に赤字が入るという(笑)。

日埜

「忘年会のお知らせ」みたいな、出欠をとるための紙がときどき社内で回ってきたりしますよね。で、最後に回収するときに僕が書いた時候の挨拶とかにチェックが入っていたりして。「誰だこんな校閲をしたやつは!」と(笑)。

一同

(笑)。

馬宮

他にも、校閲業務に集中するために隣のデスクとの間に勝手に間仕切りを設けて席をブース化したり、夏でもパーカーのフードを頭から被って周囲の情報を遮断したりと、まあ、いろんな人がいます。

日埜

机にクルマのバックミラーを付けている人がいたんですが、あれはなんのためにあったのか、いまだにわからないんですよね。

NDC吉岡

(笑)。日埜さんご自身は何か集中するための工夫はされていますか。

日埜

集中力ってなかなか続かないものですが……。まあその、50分やって10分休むとか、マラソンみたいにペースを作っていくということでしょうか。あとは実際に走ったりもします。小さい頃から図書館に通い詰めてるような子どもで体育は好きじゃなかったんですが、この仕事をするようになってから、体を動かすのが好きになりましたね。ジョギングすると気持ちいいです。

NDC城島

バックミラーは使い方が難しいですが、ジョギングなら真似できそうです(笑)。

新人はまず文芸誌『新潮』で仕事の基礎を覚え、次にノンフィクション系の『新潮45』で事実関係の調べ方を習得した後、単行本を一人で任されることが多い。この流れも、校閲部の伝統のひとつ。

聞こえてくるのは、紙をめくる音と空調の音のみ。しかし校閲者の頭の中には、集中してゲラを読み上げる聞こえない声が日夜響いている。

世間の辞書、書き手の辞書
世間の辞書、書き手の辞書

NDC吉岡

辞書に載っていないような言葉、暮らしの中で変わっていく言葉の使い方は、どのように校閲しているのか気になります。私は10歳以上年下のママ友とLINEでやりとりをすることがあるんですが、ときどき「ありがとぅ」といったような、どこかが小文字になっている表現が送られてくることがあって。たとえば小説の主人公が「ありがとぅ」と言っていたら、そこを日埜さんは指摘するのでしょうか。

日埜

そういったものは生活の中で感じたままに判断するしかないですよね。今おっしゃったようなケースだと、そのママ友のお母さんが普段からそういう表現をされているんでしたら、それはもうOKと判断すると思います。特にLINEは会話のようにくだけたコミュニケーションをする場ですし、実際の仕事の中でも、辞書に基づいて機械的に判断するのではなくて、人物像やシーンといった背景を加味して校閲しています。

NDC関口

似たような例だと、たとえばある種のライトノベルでは文章表現の一部として特殊な約物の使い方がされていたりしますよね。

日埜

そうですね。著者の方それぞれの書き方があって、一人一人ルールが違うので。世間の辞書とは異なるその人独自の辞書のようなものを見極めて、その基準に照らし合わせて判断していくこともあります。

馬宮

あとは、時代に合わせて出版物のルール自体を変えていく場合もありますね。『週刊新潮』で言えば、数字表記の仕方を時代にフィットする形で変更していたりですとか。読み手が読みやすい形を求めて、言葉もルールも変化を続けていくのではないでしょうか。

校閲者たちを静かに支えながら、代々受け継がれてきた資料たち。各国語辞書や百科事典はもちろん昭和初期の時刻表や武家の家系図など、古くても現役の資料も多い。

機械がまだ感じられないニュアンス
機械がまだ感じられないニュアンス

NDC城島

そうやって時代が変化するにつれて、校閲用のデジタルツールなども進化していきそうですが、校閲の仕事はどうなっていくと思われますか。

日埜

今ちょうど人工知能の本を校閲していたところなので、タイムリーな話題です。そうですね……一つ一つのゲラを読み込んで文章に深く入り込んでいくと、まあ間違いではないんだけれども、ここは文章のリズムや文体から言って「が」じゃなくて「の」にすべきなんじゃないか、といったような箇所を見つけることがあります。そういったニュアンスというのは、おそらく非常に微妙な感覚によって認識しているものだと思うので、なかなか、人工知能とか機械にそこまではできないんじゃないかなっていうのがありますね。なんだろうなあ……貞淑な奥様が「紅茶をすすった」という文章があったとして、ここは「紅茶に口をつけた」のほうがふさわしいんじゃないか、と感じるような人間ならではの言語感覚といいますか。

土屋

「表現の豊かさ」や著者が持つ「作家性」といったようなものも見ているということでしょうか。

日埜

まあ、あんまりこういうことを言ってしまうと、はじめに話した「主観的な指摘はしない」という話ともちょっと矛盾してくるんですけど。ただ、どうしても客観性をちょっと超えて主観のほうに踏み込んで「ここはもう少し、こうしたほうがいいんじゃないか」といったような改善案を著者にぶつけて、それに著者が応えてくれて……と、そうやって創作に協力できるところにこの仕事のやりがいがあったりもするので。校閲の仕事はまだまだ続いていくと思います。

「ある作家さんがわざわざ校閲部までいらっしゃって、お世話になりました!と感謝の言葉を述べてくれたことがありました。あれはうれしかったですね」と日埜さん。

ふたつの視点を行ったり来たり
ふたつの視点を行ったり来たり

NDC城島

お話を伺っていて、日々、案件ごとに異なる分野の本と向き合う校閲者のお仕事は、扱うもののジャンルが多岐に渡るという点で僕たちコピーライターやデザイナーと少し似ているなと感じました。ただ、校閲者のみなさんは内容的な間違いを指摘できるほど対象を深く理解しなくてはならないわけですが……。

日埜

そうですね。あるときは経済の本を校閲したかと思えば、次は人工知能で、またその次は純文学だったりと、次は一体どんな本がくるんだろうと毎回ドキドキしています。
まあでも、どんな分野でもど素人なので、とにかく初歩的なことから調べていくしかないですね。

NDC関口

その世界に浸って、潜って。

日埜

はい。なんとか著者と肩を並べうるところまでいけたら理想だなあと思っていつも頑張っています。ただその一方で、素人ゆえのトンチンカンな疑問を出したとしても、それはそれで著者に対してはひとつの情報になると思うんです。素人が読んだときに、ここで勘違いをしてしまうんだ、という。校閲者って英語では「proofreader」といって「proof(吟味・検算・ゲラ)」という言葉がついてはいますけれども、やはりあくまでreader、つまり一読者なんです。校閲のプロであると同時に、ひとりの読者としての視点から素直な疑問を出すことも大事な仕事だと思っています。

馬宮

校閲者にとっては知ったつもりが一番危ない、とも聞きますしね。

NDC城島

対象となるものへの深い理解と、素人だからこそ抱ける疑問……。このふたつの視点を使い分けることは、やはり僕たちの仕事にも生かせそうだなと思います。

日埜

今日は地味な仕事の話だったかと思いますが、少しでもみなさんの役に立てたならよかったです。

修正前と修正後の紙を重ね、パラパラ漫画の要領でめくりながら修正箇所の変動を把握する。赤字合わせと呼ばれるこの技術を使って、地道に、丹念に確認していく。