被災地の空気に触れ、僅かながら現地の人々と接した感触から感じたことは、いわゆる復旧や復元ではなく、新しい未来型の構想を、土地の人々の意志とともに育てていくことが最も重要だろうということだ。現地の人たちにとっても、日本の他の人々にとっても、そして世界の人々にとっても、ここに新たに人知の先端が育まれていくというイメージが大事になるのではないかと直感したのである。
復興は、短期から長期へという展望の中で計画されるだろうが、まずは被災生活の物的・精神的援助と、仕事の創出がさしあたっての課題となる。仮設住宅のような居住の確保については、コミュニティや人間関係への配慮を十全にという声が多方面から聞かれ、この点については阪神淡路の経験が生かされているのを感じた。
問題は、壊滅的な被害の出ている街や産業をどう立て直していくかという長期の復興計画だ。元来、震災がなくても過疎や老齢化など、縮退していく日本の構図がそのまま現れている地域でもある。多くの犠牲者を出し人口を失っている地域を復元しても物事は明るい方向には進まない。高度成長とともに人口が増大している時であれば、被災の傷跡は街の自然な成長や拡大によって徐々に覆われていったかもしれない。しかし縮退する日本ではそうはいかない。老齢化に向かう人々が安心できる暮しを取り戻すことは勿論重要だが、それだけでは足りない。複数の街や港をまとめて、都市機能や港湾機能の効率化をはかるような、抜本的な都市の再創造が模索されている。
津波被害の後、真っ先に検討されるのは、津波の及ばない高台に街を作って、低地の居住をやめるという構想である。低地は確かに津波に弱い。だからそういう案を採用する町や村もあるかもしれない。しかし、解決策はそれだけではないだろう。おそらくは、建築や土木技術の先端性を携えて、異なる視点からの提案が出来る人々がいるはずである。中国など、アジアの新興国において、世界の知恵を集めて立案される都市計画には、これまでの常識を超えた斬新なプランを散見する。人類はレンガの時代もコンクリートの時代も通り超えて、頑強な人工地盤を構築できる時代に入ってきた。従って復興計画においては、港に近く温暖で景色もいい沿岸部に、集団居住のできる丘のような規模の新たな都市のかたちが構想できるはずだ。
三陸沖は世界で指折りの恵まれた漁場である。ここに漁業や水産加工業を復活させることは当然可能である。日本からでも世界からでも、現地の人々や産業を助ける資金は集まるだろう。また被災地域の平野部も、稲作だけではなく酪農や野菜の農地としての潜在性も高い。これを契機に集約的に事業性を見直すことが出来れば、農の未来に対しても意欲的な構想が描けるかもしれない。要は若者がそこに新たに移り住みたくなるような魅力や希望を、復興プランにどう盛り込めるかである。
月刊誌『図書』第748号
連載「欲望のエデュケーション」
22回 東日本大震災から より抜粋
Jun 01, 2011