放射線リテラシー


原発事故については、まだ予断を許さない状況だが、自分たちに出来ることは放射能に対する基本的なリテラシーを、新たな常識として社会に浸透させていくことに協力することである。原発の是非を今、突き詰め過ぎると福島は逆に追い込まれてしまう。まさに逃げ場を失ってしまう。
放射線を無闇に恐れるのではなく、その危険度を適正に判断できるリテラシーを向上させることが先決である。風評被害は、農作物や漁業だけの問題ではない。観光立国をめざす日本にとっても深刻な事態である。すでに日本を訪れる観光客の客足はぴたりと止まっている。工業製品すら日本製品の輸入を制限する国が出始めている。放射線リテラシーを世界に浸透させなくては状況の好転はない。
日本は、これを契機に低エネルギー消費の先進国へと脱皮していけるはずだし、原発は新たなフレームの中で再考を余儀なくされるだろう。安全性もさることながら、原発は処理の困難な廃棄物を残してしまう点に根本的な問題を抱えている。クリーンエネルギーに切り替えていくことには賛成である。しかしその前に、放射性物質や放射能についての理性的な対応力を世界にアピールしていくことが必要である。まずは高い密度と精度を携えた、客観的で説得力のある放射線量の測定から始め直す必要があるだろう。これは原発事故に遭遇してしまった国の避けられない課題である。

風土の再生

風土の再生

汚れてしまったのは海や川だけではない。無味乾燥な人工物によって固められた海辺と同様、暮しも都市も汚れた。工業を推進して国を成り立たせていくために必要とされる道路やダムの建設、そして景観の調和を黙殺したままの都市の増殖も国土を汚した。経済を加速させていくために容認されてきた公共空間における奔放な商業建築や看板の乱立は、景観を慈しむ感覚を麻痺させ、日本人のデリケートな感性の上にかさぶたのような無神経さと鈍感さを貼り付けてしまった。現代の日本人は「小さな美には敏感だが、巨大な醜さに疎い」と言われるが、その背景がここにある。
茶の湯や生け花といった伝統文化、あるいは個々のデザインや建築に関してはきわめて高度な創造性や洗練を見せる日本ではあるが、その集積であるはずの景観が醜い。この傾向は都市に限った訳ではない。田舎もまた同じ問題を抱えている。都市に倣おうとしているところも、単に洗練に至っていない鈍重な感性も含めて。田舎にはたしかにあふれるような自然がある。しかし殺伐とした風景にも数多く出会うのだ。
工業生産で少しやつれてしまった国土を心休まる安寧の風土として再生させていくためには、まずは掃除をしなくてはいけない。既に何度も述べているように、日本人の感受性はもとより繊細、簡潔、緻密、丁寧なのである。これを自覚していくことで、経済文化の次のステップへと僕らは進んでいけるような気がするのだ。

胸のすく場所

胸のすく場所

そんなことを考えるとき、思い浮かべるのは「国立公園」である。日本には29の国立公園がある。初めて「国立公園」を意識したのは、切手を集めていた少年時代である。モノトーンの控えめな切手であったが、美しい風景が凝縮されたシリーズが記憶の端にある。元来、いずこの山もいずれの浦も美しいわけで、ことさら「国立」と言われても、という見方もあろうが、あらためて「くに」の景観ひとつひとつを吟味してみるといずれも味わい深い。環境省の資料によると「同一の風景型式中、我が国の景観を代表すると共に、世界にも誇りうる傑出した自然の風景であること」がその定義であり、環境大臣がこれを指定するとある。「風景型式」などという発想には苦笑させられるが、確かにその景観を前にすると大きな感慨が湧いてくる。
国立公園の発祥はアメリカ合衆国だそうだ。19世紀半ばから20世紀初頭にかけて、イエローストーンやグランドキャニオンを人為による破壊から守るために、景観や自然、動物などの保護法が定められていった。アメリカ大陸のフロンティアを切り開いてきた人々が、合衆国独立後100年を経て、自らの歴史を刻むべき壮大なアメリカ大陸の自然の稀少性に気付き、人為によって損なわれる前にこれを保存しようと思い立ったのだろう。

マッシモ・ヴィネリの仕事


その着想が影響してかどうか、アメリカの国立公園は情報のデザインが秩序だっていて、商業主義やノスタルジーときっぱりと一線を画して美しい。これは偉大なグラフィックデザイナー、マッシモ・ヴィネリの先見的な仕事が下地になっている。彼は国立公園のパブリケーション・デザインの基礎を整備した。具体的には、地図の読みやすさや美しさ、写真や文字のレイアウトなどを整理し、パンフレットなどの広報ツールを知的で統一のとれた作法へと導いたのである。
情報デザインのゴールはそれを用いる人々に力を与えることである。国立公園を訪れ利用する人々が欲しがる情報、あるいはそういう人々が能動的に国立公園を動くために必要な情報というものがある。彼はその情報編集のための、美しく実用性ある仕組みを立ち上げた。そして、さらに重要な点であるが、国立公園の情報デザインを、一人のデザイナーが占有統括するのではなく、個々の公園を運営管理する人たちが、進んでこの方式を学び習得できるような仕組みを作りあげたのである。結果として、アメリカにおける国立公園の情報デザインは、水準の高い先例に倣い、その上にさらなる成果や工夫を積み重ねていった。
読みやすく美しい情報ツールを手に国立公園に向かうとき、人々は、その体験を通して多くの人々の意識と連携することが出来る。おそらく、国立公園というものは、自然そのものではなく、むしろその自然にどう向き合いどう慈しむかという、人の意識の中に構築された無形の意識の連鎖なのではないか。そういう意味で、国立公園は高度なデザインの集積とも言える。
(中略)マッシモ・ヴィネリはこの仕事で、the First Presidential Design Awardという賞をもらっているが、その受賞は1985年であるから、既に四半世紀も前に、アメリカは国立公園の情報デザインの整備を始めていたことになる。

掃除されている街

掃除されている街


成田空港に降り立ち、素っ気ない空間を入国審査所に向かって歩き始める時、きまって感じることがある。空間は面白みがなく無機質だが、なんと素晴らしく掃除の行き届いた場所だろうかと。床のタイルはどこもピカピカで、床の上で転がり回ってもさして服は汚れないのではないかと思うほど。カーペットを敷きつめた床も清潔だ。仮にシミがあっても、それを除去しようと最善の努力をはらった痕跡がある。おそらく掃除をする人は、仕事の終了時間が来ても、モップや掃除機をさっさと片付けたりしないで、切りのいいところまで仕事をやりおおせて帰るに違いない。この丁寧さが、他国から帰ってくると切実に感じられる。空港を出てクルマで高速道路を走りはじめてもこの感覚は持続する。田園風景を切り裂いて進む景観に高揚感はないが、路面は鏡のように滑らかで、クルマのエンジン音も極めて静かだ。道路に沿って点灯する街路灯も、どれ一つとして消えていたりはしない。
その感慨はやがて都心部の夜景に吸い込まれていく。東京に近づくにつれ、夜景の緻密さに感覚が引き締まってくるようだ。一つ一つのどの灯りも、しっかりと確かに点灯しており、切れたり明滅したりはしていない。確実に揺るぎなく灯っている。そんな灯りが集合して高層ビルとなり、果てしない奥行きの中に連なって夥しい光の堆積をなす。

量の呪縛から逃れて

量の呪縛から逃れて

生産技術は現在、アジア全域、そして世界全域に等しく広がっていく時代を迎えている。自国におけるもの作りの空洞化を憂いている暇はない。ものの生産においては、量よりも質へと、はっきりと重心をシフトしてくことを考えなくてはならない。さらには、工業生産と同時に、恵まれた自然環境にも目を向け、サービスやホスピタリティの局面にも資源としての美意識を振り向けていくことが重要である。そうすることで、自然をハイテクノロジーと感性の両面から運用できる、新しいタイプの環境立国として日本はその存在を示していくことが出来ると思うのだ。石油は産しないが、温泉はいたるところに湧き出している。住まいやオフィスの環境も、モビリティや通信文化の洗練も、医療や福祉の細やかさも、ホテルやリゾートの快適さも、美意識を資源とすることで、僕らは経済文化の新しいステージに立つことができるはずだ。
中国、そしてインドの台頭はもはや前提として受け入れよう。アジアの時代なのだ。僕らは高度成長の頃より、いつしかGDPを誇りに思うようになっていたが、そろそろ、その呪縛から逃れる時が来たようだ。GDPは人口の多い国に譲り渡し、日本は現代生活において、さらにそのずっと先を見つめたい。アジアの東の端というクールな位置から、異文化との濃密な接触や軋轢を経た後にのみ到達できる極まった洗練を目指さなくてはならない。