何とかなるし、何とかするという姿勢で 何とかなるし、何とかするという姿勢で 何とかなるし、何とかするという姿勢で
原の姿を見ていると、私が手を抜くことはあり得ないと思ってしまう
松野 薫
原デザイン研究所 副所長 北京大思広告有限公司 総経理 デザイナー/アートディレクター
1974年東京生まれ。ニューヨーク州立大学卒業後、日本デザインセンターに入社。情報デザイン研究所を経て、2002年より原デザイン研究所に配属。本人は静かにエディトリアルデザインをやりたいが、展覧会の担当になることが多く、『TAKEO PAPER SHOW 2004–FILING』『SENSEWARE』『HOUSE VISION』『NEO PREISTORIA –100 Verbi(新・先史時代–100の動詞)』等を経験。特殊工作部隊の隊長として、原デザイン研究所/北京支社の約20名のクリエイターと日々、新しい課題に取り組んでいる。
こんにちは。デザイナーの松野薫です。原デザイン研究所の副所長という立場で、プロジェクトの進行のマネジメント、そしてデザイン作業も行っています。私の仕事は、全体的な仕事のサポートのように思っています。
ボスの原は、本当に真っ直ぐな人です。仕事に対して誰よりも真剣だし、誰よりもエネルギーを投じて仕事を進めているので、その姿を見ていると、私が手を抜くということはあり得ないと思ってしまいます。私だけでなく原研究所全体にもそういう雰囲気は伝わっています。原が私たちの鑑(かがみ)として引っ張っていってくれる。原と所員は、そういう関係にあります。人づてに聞いた話ではありますが、「火星に行かねばならないときに誰と行くか」という質問に対して、原は「松野」と言ったとか。きっと“過酷なサバイバル時にいると便利な人”と思われているのでしょう。
展示や打ち合わせで海外に行く機会が多くあります。様々な土地を訪れると、その場所ならではの発見もあります。先日、紙の工場の取材でイタリア・コルデノンスを訪れた時のこと。以前からイタリアの紙は質がよく、高級感を纏い、魅力に満ち溢れているとは思っていましたが、その会社を代々引き継ぐ経営者の方がおっしゃるには、イタリアのモノづくりは、技術と職人のスピリットとファンタジーで成立していると。日本だと「ファンタジー」とは少し夢物語的な、掴むことができないようにものに思いますが、実際にモノに落とし込むとこうなるということが、とても腑に落ちたのです。経営者のみならず、現場の職人さんも代々ここで働いている方が多く、紙に対する信念や技術も受け継がれています。美しい紙の背景には、ブレなく存在するものがそこにあることがわかりました。
私の仕事は予定どおりにも物事が動くことは、まずありません。でも基本的には何とかなるし、何とかするしかないと思いつつ、日々仕事に向き合っています。基本的に私自身がポジティブなのでしょうね。