北京拠点のクリエイティブ 北京拠点のクリエイティブ 北京拠点のクリエイティブ
日本人として何ができるかを考えながら動けば、しぜんに道は開けます。
田邊 恵
北京和創図文制作有限公司 副総経理/プロデューサー
1976年生まれ。神奈川県川崎市出身。立教大学法学部国際比較法学科卒業後、富士屋ホテル宿泊課勤務の後、03年9月より北京経済貿易大学に留学。05年7月より北京和創図文制作有限公司にて中国での車撮影関係のプロデューサーとして勤務。09年からは同社副総経理として経営に参画する。10年、日本デザインセンターに入社。2015年プロデューサー10年目、まだまだ成長中。
こんにちは、田邊恵です。中国市場での自動車撮影のニーズに対応するために、デザインセンターが北京和創図文制作有限公司(以下、和創)を開設したのが2005年。その当時からここで働いています。肩書きは副社長ですが基本はプロデューサー。ただ仕事内容は広く、スケジュール管理、見積もり、営業、プレゼンはもちろん、通訳もロケ場所探しも担当しています。いま約20名のスタッフがいますが設立当時は4名。その時から何でもやるスタイルが続いています。
和創のクライアントは、トヨタなど日系企業をはじめ、中国系や欧米系の自動車会社や広告代理店など多岐に渡ります。年間約100本の仕事が動いていますが、そのほとんどが他プロダクションとの競合です。でもクルマに特化した撮影技術を持ち、3面の大きなスタジオがあり、事務棟も快適な和創は、あらゆる面で高品質を提供できるのが強み。今年で10年目になりますが、中国でもトップ3に数えられるスタジオになれたと自負しています。
中国には留学生としてやってきました。日本の大学を卒業した後、一度老舗ホテルに就職しましたが「まだ何かに挑戦したい」という気持ちがありました。じつは最初は中国への特別な興味があったわけでもなく、英語の次の語学習得を目指して中国語学校に通いはじめました。が、しばらく経つと留学をすすめられ、大学への試験に合格。とんとん拍子に2年間の北京行きが決まってしまいました。ホテルはもちろん退職。先が見えている学生の留学とは違いますから、とにかく勉強しようと決めて朝から晩までみっちり中国語に取り組みました。そのかいあってだいぶ話せるようになった頃、日本企業の中国でのビジネスをサポートする会社でアルバイトを始めました。ここで和創の起業準備をしていたデザインセンターと出会うことになりました。
入社したものの広告や写真のことなど何も知りません。最初は撮影現場の手伝いなどをさせてもらいながら少しずつ仕事を覚えていきました。中国でのクルマの撮影はなかなか面白いですよ。こちらではスタジオ撮影だけでなくロケ撮影も多く、北京市内や上海はもちろん旅行などではなかなか訪れない場所にも行きます。例えば新彊ウイグル地区のロケ地哈密(ハミ)までは北京から約3000km。電車だと36時間もかかる道のりです。全長2800kmにわたる天山山脈が広がり、周りには自然以外なにもなく、トイレも何もかも自然と一体となるしかない場所での撮影は大変ですが、広大な大地を持つ中国ならではの醍醐味を感じます。
硝子工事業を営む実家の母から常々「あなたは“あげまん”にならなくちゃ駄目よ」と言われて育ちました。あげまんは男性にツキをもたらす女性のことですが、細やかに気を配り、誰かのために働くことができるのは日本女性の美徳では?と最近思うようになりました。中国は男女平等の意識が根付いていますから、説明してもなかなか理解してもらえません。そのプロジェクト、一緒に働くスタッフ、そして会社全体が上昇気流に乗ってどこまでも上がっていってほしい。そのために「みんなを助けよう、盛り上げよう」という気持ちで仕事をしています。
いま和創では中国在住の日本人カメラマンが撮影をしていますが、今後は日本にいるカメラマンの方ももっと中国に気軽に来てもらえたら、と思っています。中国では幅広い分野の仕事に、魅力的な撮影場所があります。言葉ができなくても心配はいりません。やる気と元気、そして日本人として何ができるかを考えながら動けば、しぜんに道は開けます。右も左もわからず中国にやってきて、こうして働き続ける私が、今自信を持って言えることです。