INTERVIEW

多様性の足場を編む

Event Date : 2023.10.06

多様性の足場を編む

2023年10月、香港の書体デザイン会社Kowloon Type Webサイトが公開になりました。(リンク
Kowloon Type創立者であるHui Hon Man, Juliusさん、今回Webサイト制作を手がけた日本デザインセンターのデザイナー・山口萌子、Webデザイナー・後藤健人の三名で、Juliusさんのこれまでの歩みやWebサイト制作の裏側、そして東アジアの書体の未来について語り合いました。

書体をローカライズしたい。
書体をローカライズしたい。

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まずはKowloon Typeの現在に至るまでの背景を教えてください。

Julius

僕は大学を卒業して以来、長年書体デザイナーとして働いてきました。Dalton maagやMonotypeなどのグローバル企業に勤めていた時代は市場の需要に特化したプロジェクトを多く担当していましたが、その頃から「デザインによる様々な問題を解決するためのアイデアに、もっと専念したい」と思っていたんです。
Kowloon Type創立後、実際にリリースした書体が空明朝體(くうみんちょうたい)です。一般的に中国語圏で使われる中文書体には、明朝体のバリエーションが少ないため表現の幅も狭く、それぞれの用途にあまり対応できていません。空明朝體は小説や詩に特化した書体として、流れるような中国語を意識し、生き生きとした柔軟性を持たせています。

Hui Hon Man, Julius
タイプディレクター・タイプデザイナー

香港理工大学デザイン学部を卒業後、ロンドンのDalton MaagおよびMonotype香港支社に在籍。地域の文化を尊重したデザインアプローチによって、グローバルブランドの中国市場への適応に貢献、ブランドコミュニケーションの向上に務めた。ミュンヘンを拠点とするKMS Teamとの協業後、母国香港でKowloon Typeを設立し、中文書体が抱える課題をデザインで解決することを使命とする。設立後最初のオリジナルフォントである空明朝體は、中文の読書体験に柔らかく流れるような心地よさを提供する書体として、香港に大きな影響を及ぼした。

僕たちのチームが仕事をする上で重要視しているのは、「書体デザインでコミュニケーションを豊かにする」ということ。
たとえば香港では現在ポップカルチャーが勢いを持っていますが、既存の書体では世界観を十分に表現できていないため、バリエーションが必要だと思います。
また、デジタルデバイスが普及していく中で、プログラマーやWebデザイナーがより柔軟に扱える書体を求めるようになりました。そういったニーズにも応えながらあらゆる文脈に対応できる書体を開発し、オンスクリーンにも中華圏の精神性を投影していきたいと考えています。

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中華圏の精神性…興味深い言葉です。中文の中でJuliusさんが特に残していきたい文化などはありますか?

香港に限った話ですが、伝統的な店舗看板が減ってきています。香港の看板のルーツを守りながら、アップデートしていけるといいなと。

それぞれの国にはそれぞれのコミュニケーションやバックグラウンドがあって、そういった差異に合わせて書体をつくることがとても大事だと思っています。

人がやりたがらないことにこそ、可能性がある。
人がやりたがらないことにこそ、可能性がある。

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日本人グラフィックデザイナーである山口さんは、中文タイポグラフィについてどう思われますか?

山口(NDC)

漢字は日本人にも馴染みがありますが、使われ方、見え方が全然違いますよね。和文書体は漢字/ひらがな/カタカナといった様々な文字が混在しているレアなケースです。一方中文書体は画数の多い漢字のみで構成されているので、ひとつひとつの文字の余白が少なく、行として並べたときのリズムも生まれづらい。中国語圏では、感情を伝える書体やタイポグラフィの設計がとても難しく、高い技術が必要なのだろうなと思います。

山口萌子
アートディレクター・デザイナー

1987年生まれ。慶應義塾大学、多摩美術大学卒業。書体デザイナー、日本デザインセンター色部デザイン研究所デザイナーを経て、2022年より同社アートディレクター。​​タイポグラフィの知見を活かし、VI、ビジュアル、サイン、展覧会デザインなどを手がけている。色部デザイン研究所での主な実績は「TokyoYard PROJECT」書体ディレクション、「東京都現代美術館」サイン計画、「Sony Park展」グラフィックデザインなど。

Julius

まさにその通りです。現在香港では読書離れが問題視されていますが、中文のぎちっと詰まった書体デザインも大きく影響しているはずです。

そもそも中文書体の多くが、和文書体の漢字からつくられています。山口さんも言っていたように和文の漢字はひらがなやカタカナと共存することが前提なので、中国語の世界でそのまま使うことはできません。

今の香港は、香港人のための書体が生まれづらい状況です。たとえば中国本土で使用できる中文書体をつくるには、最低でも6000字は必要。ハードルが高いですよね。また、香港では中国語と英語が同じ割合で使われているので、市場的に見ても、差し迫った需要がある訳ではありません。その結果、得られる利益が不明確なまま、制作のため多額の投資が必要…という不安定な状態に陥ってしまいます。
このような背景もあり、中華圏の書体デザインは日本と比べると遅れを取っています。これは中華圏のデザイナーの悩みなのですが、デザイナーがデザイン上で使用できる中文書体がとても少ないので、質の高い書体がもっと増えたらいいのに、と思いますね。

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需要の低さは主要言語が二つある香港ならではの課題ですよね。

そうですね。一方で僕は、多言語に触れながら育った経験から、あらゆる言語や文化を尊重するようになりました。最近では中国語の繁体字*が少数派になったり、韓国では漢字が一般的ではなくなったりするなど、文化の変化を避けることはできません。ただ受け入れ、尊重したいと思っています。

*繁体字…簡略化されていない漢字のこと。中文には「簡体字」と「繁体字」の2種類が存在するが、
簡体字の使用人口は約14億人に対し、繁体字の使用人口は3,000万人程度とされている。

言語に対するそれぞれの考えを尊重したいですし、僕自身の仕事は、それでも中文書体を使う香港人の環境をよくしていくことだなと。むしろ見方を変えれば書体デザインの世界にはまだまだ開拓の余地があって、デザイナーの自分にも大きなチャンスがあるかもしれないとポジティブにも捉えています。

言語を超えた、感性のコラボレーション。
言語を超えた、感性のコラボレーション。

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今回のWebサイトについて、日本デザインセンター(以下NDC)に依頼した背景を教えてください。

Julius

NDCに依頼した理由はふたつあります。ひとつは僕自身NDCに大きな信頼を寄せていたこと。もうひとつは、10年来の友人である山口さんがいたことです。

山口さんと出会う以前からNDCの存在を知っていて、出身クリエイターである田中一光さん、原研哉さんの本を読みNDCの本質的なところに共感していました。彼らは書体の存在を重要視していますよね。NDCは香港でも多くのデザイナーが知っていますし、東アジアのデザイン文化を牽引してきた存在です。

山口さんとは書体デザイナーとして出会いましたが、僕は当時から山口さんのつくる作品の世界観や、デザインに対する美学が好きでした。同じ東アジア出身として、中華圏の文化を理解できるクリエイターだと感じていたんです。

Featured Projects 2023 アートディレクション・サインデザイン

山口(NDC)

書体デザイン業界は伝統や文化から学ぶことを大切にしていて、若手も熟練したデザイナーも勤勉な方がとても多いと思います。Juliusさんも出会った当時から熱心な勉強家でしたが、それ以上に書体を通して社会で実現したいことで溢れていて、そんな姿勢に感銘を受けました。当時から尊敬するデザイナー仲間でしたし、いつか一緒になにかをつくれたらいいなと思っていたので、今回Webサイトの設計を担当させてもらえて感謝しています。

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今回のWebのコンセプトについて教えてください。

山口(NDC)

「書体デザインでコミュニケーションを豊かにする」というJuliusさんの取り組みは、グラフィックデザイナーだけではなく、文字に触れるすべての人に深く関わっています。今回のWebサイトでは、日常の中で書体がいかに息づいているかを感じてもらえるよう、Kowloon Typeの書体が使用されている様子や、Juliusさんのインスピレーションにもなっている香港の街中のタイポグラフィを動画で撮影し、メインジュアルとして使用しました。

また、メニューが画面中央にあるのもポイントのひとつですね。東アジアの伝統的な製本方法である和綴本では、版の中央にタイトルや章題が書かれていたりして、現代の原稿用紙にもその名残がみられます。そういった紙媒体の特徴から着想を得てデザインしてみたところ、後藤さんが「見たことがないけれど、いいかもしれない」と言ってくれて。

和綴本
現代の原稿用紙

後藤(NDC)

メニューを中央に置くというのはWebデザインの文脈からはなかなか出てこない発想なので、インスパイアされましたね。

山口(NDC)

今回発見だったのが、「紙のデザインでは簡単にできることも、Webデザインだと途端に難しくなることがある」という点です。書体の組み見本のパート(Specimen)では、紙媒体のように、縦組み・横組み、中文・和文・欧文、1カラム・2カラムなど、異なる種類のテキストボックスのすべてをひとつのグリッドに揃えたいと考えていました。ですが行間の取り方がWebと紙媒体のアプリケーションとはまったく異なっていて、こだわるのも修正するのもすごく手間がかかるんです。

後藤(NDC)

「(大変だけれど、)生きた書体を使いたい」というのが大きなテーマでしたね。一般的に文字情報を美しくデザインする場合、画像にしてしまうことが多いのですが、今回は書体デザインチームのWebサイトということもあり、画像化されていないフォントで美しく組みたいと社内で話していました。高度なレベルで書体を再現できたことで、Kowloon Typeの品質の高さを感じさせるものになったと思います。

後藤健人
アートディレクター・Webデザイナー

1988年生まれ。名古屋学芸大学メディア造形学部映像メディア学科卒業後、Web制作会社を経て、2016年、日本デザインセンター入社。デザイナーとエンジニアの中間の視点を生かした「FONTPLUS」、「Fontworks」等のWebサイトや、「Osaka Metro」モーションロゴなど、横断的にオンスクリーンメディアのデザインを手がける。趣味は写真の現像、シンセサイザー弄り。

Julius

山口さんと後藤さんは本当に細部まで気を配ってくれました。 それは香港では見られないユニークさで、 同じレベルに至るのは難しいと思います。 美しいだけではなく、日本らしい精神性も感じられて、 今回のコラボレーションの結果にとても満足しています。僕は特に、メニューが画面中央に置かれているところがお気に入り。
よく書体デザイナーは細かくマニアックな気質だと思われがちですが、自分はそうではなく、常に新しいことを望んでいます。そんな考えがそのまま実現されている。山口さん(グラフィックデザイン)と後藤さん(Webデザイン)、そして自分(書体デザイナー)の三領域がコラボレーションしたから実現できたことだと思います。

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「オリジナリティ」という言葉がありましたが、スクリーンセイバーでは突然龍が現れたりと随所に遊び心が見られますよね。

後藤(NDC)

今回のプロジェクトでは、Webサイトの中にKowloon Typeのエッセンスを取り込みたいと考えていました。そのひとつとしてスクリーンセイバーを生かせないかと。たとえば、龍のアスキーアートが画面を泳ぎ出すとか、中国語ならではの時計表示が現れるとか…見ていておもしろいと思えるものを選んでみました。

あとは、Playgroundの見せ方ですね。ここでは香港の看板のエッセンスを取り入れて、実際に街を歩いているような印象に仕上げています。Web表現ならではの独創性については常に山口さんと話しながら進めていきました。

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山口さん、後藤さんはJuliusさんにどのような印象を抱かれましたか?

山口(NDC)

私は出会った頃からJuliusさんのつくる書体が好きで、多様な表情のデザインができるクリエイターだと感じていました。私自身、日々デザインしていると良くも悪くも自分らしくなり過ぎてしまう瞬間があると感じます。新しい書体を使うという行為は自分とは異なるものを取り入れることでもあり、デザインする上で大きな要素なんです。そういう意味ではJuliusさんがつくる書体はとても興味深いし、Juliusさんの書体を使うことでデザインの新しい表現の可能性が生まれていくのではないかと思います。

後藤(NDC)

今回、実際に香港でお会いして感じたことは、Juliusさんが日本好きだということです。事務所には亀倉雄策さんの東京オリンピックポスターが飾ってあったり、本棚にもたくさんの日本の本が並んでいました。JuliusさんがInstagramにアップしている作品にも村上春樹さんの言葉や荒木飛呂彦さんの名前があったりと、我々と近しい感覚を持っている人なのだと感じています。なので、プロジェクトでは大きな問題は起こらず、とてもスムーズに進められましたね。

借りものではない、自分たちらしい文化へ。
借りものではない、自分たちらしい文化へ。

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10年後、東アジアの書体デザインはどのようになっていると思われますか?展望やイメージがあればお聞かせください。

Julius

香港に限った話だと、僕たちのチームが拡大していたらいいなと思います。香港には書体デザイナーが少ないので協力しながら学んでいけると嬉しいです。中華圏ではまだ美しい書体への理解が少ないので、書体文化の地位向上に貢献できるといいですね。コミュニケーションが写真やイラストに頼りすぎているところもあるので、書体をもっと使っていってほしいな。もちろんNDCとも継続的にコラボレーションしていきたいです。今回のWebサイトはまだ始まりにすぎませんから。
やりたいことはたくさんありますが、根本は、コミュニケーションの問題を書体デザインで解決したいということ。まずはWebやモバイルデバイスなど、身近なものを美しくしていきたいです。

山口(NDC)

東アジアのブランディングは、欧文書体で個性をつけることが多いんです。けれどその地域の人たちは当然自分たちの言語で読んだり話したりしている訳なので、漢字やひらがな、ハングルなどその土地に根付いた言語でデザインする流れになったらいいなと思っていて。Juliusさんはそういうことを一緒に実現できる人なんじゃないかな。

後藤(NDC)

JuliusさんがInstagramにアップされている漢字のスタディを見ていると、Webデザインが抱えている問題も解決できそうな気がしてきます。Juliusさんの書体が中華圏だけではなく、日本でも使えるようになれば革命が起こるんじゃないかと思うくらい。
僕は空明朝體を初めて見た時、日本文化のニュアンスを感じたんです。日本を好きでいてくれているJuliusさんの、目線そのものが表れているというか。Juliusさんはきっと、アジアの書体デザインを切り拓く人になります。

Julius

すごく嬉しいです。香港や台湾では「日本的」というのは褒め言葉なんです。
ですが悲しいことに、書体に関しても日本のものを使えばいいじゃないかと言われることがあって…そんな声が聞こえなくなるくらい、自分たちの文化から良いものをつくっていきたいですね。