stone #3 ─── 「書くためのツールを考える」哲学者 千葉雅也

FOCUS

日本デザインセンター(以下NDC)が開発した、書く気分を高めるテキストエディタ『stone』。哲学者の千葉雅也さんは、リリース直後からいち早くstoneに注目し、Twitterでも度々stoneについて言及してくださっているお一人です。また、stoneも含めたさまざまなデジタルツールを横断的に活用した執筆にも取り組んでいらっしゃいます。そんな千葉さんに、stone開発担当の北本とNDC取材チームが、書くためのツールやstoneについてお話を伺いました。

──── テキストエディタなど、書くためのツールを意識されるようになった経緯を教えてください


書くためのツール選びに積極的になったのは、ここ数年なんです。それまではむしろ、ワープロやエディタの欠点の方が目についていました。僕は、実家がデザイン会社を経営していたこともあり、中学生の頃からDTPソフトで遊んでいたので、ついフォントや字詰めが気になってしまうんです。たとえば、ワープロの横幅ぴったりの長さで一文が終わると気持ちが悪いので、次の行にまたぐように字数を増やすなど、見た目の気持ちよさを優先して内容を変えることがあるほどでした。しかし、だんだんと文書作成・編集のためのデジタルツールが増えてきたことで、それらのツールをもっと積極的に活用できないかと考えるようになりました。

書くことに関して、僕にとって革命的だったツールはTwitterです。140字という字数制限の中で、ひとまず一つのことを書き終えなくてはいけないという仕組みが、書くことの支援になったんです。その後、Twitterに近い感覚で書けるクローズドな環境はないかと考えて、WorkFlowyのようなアウトライナー(アウトライン・プロセッサ)にたどり着きました。Twitterの場合は字数制限がありますが、アウトライナーの場合は、箇条書きというシステムが潜在的に「短く書きなさい」とプレッシャーをかけてきます。つまり、見えない可変的な字数制限があるんです。僕は、アウトライナーをそういう有限性の装置として受け止めています。
※文書のアウトラインを組み立て、編集するためのソフトウェア。階層構造のあるテキストを管理できる。

千葉 雅也

千葉 雅也

1978年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。哲学、表象文化論。立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。著書に『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』、『勉強の哲学――来たるべきバカのために』、『メイキング・オブ・勉強の哲学』、訳書にカンタン・メイヤスー『有限性の後で―偶然性の必然性についての試論』(共訳)など。

──── 現時点で執筆に使用されているツールや、その使い分け方を教えてください

僕は昨年から、大きく二段階に分けて書く方法に切り替えました。まず、準備として、WorkFlowyでアイデア出しをします。フリーライティングというやり方で、論理的な順序を考えずに、思いつくまま書いていきます。そのあとノイズを消しながら、順序を入れ替えてストーリーの流れを作ります。次に、それをプリントアウトしたものを参照しながら、Ulyssesというアプリを使ってドラフトを書きます。このときには、言葉遣いの正確さや、スムーズな話の展開にはこだわらずに書きます。これが第一段階。そのあと、Scrivenerというアプリで編集を行います。大まかな意味の切れ目でカットして、赤字や青字を使って編集します。それができたら、最後はWordで仕上げます。このエディット段階が第二段階です。

一つ目のポイントは、ドラフト段階とエディット段階を完全に分けるということ。ラフに書く段階に編集意識を入れないということです。二つ目のポイントは、ドラフトとエディットの差分を可視化すること。編集するときには字を別の色にするなどして、未編集の部分と編集済みの部分を区別しながら進めるということです。

──── stoneを使用されるのは、どんなときですか?

エッセイや詩など文学的なものを書くとき、つまり、言葉それ自体の質感を大事にしながら書くときです。最近発表した詩「始まりについて」(『現代詩手帖』2018年3月号)はstoneで書きました。掲載時のレイアウトも、ほぼstoneで設定したままの状態で組んでいます。なんとなくstoneぽいですよね(笑)。

──── 以前ツイートで、stone のことを「視触感がいい」と表現してくださいました。どういった感覚なのでしょうか?

「これは詩を書けるよ。小説も書けるだろう。画期的な『視触感』だ。」@masayachiba 2017-12-5 21:23

stoneは、視覚性と触覚性が結びついているような、いわば「見書き心地」がいいという感覚があります。現代人にとって、パソコンは文房具とも言えるツールです。文房具の持ち心地やすべりのよさなどと対応するエディタの要素として、フォントや字詰め、ウィンドウの広さ、タイピングしたときの文字の表示のされ方などがあります。それらから得られる総合的な感覚がよいということです。

──── stoneの使用感について、他にも気付いた点をお聞かせください

stoneは基本、縦書きで使っています。とにかく、縦書きがきれいなのがいいですね。ずっと縦書きのツールが欲しかったのですが、ちょうどいいものがなかったんです。字詰めもきれいで、括弧や句読点の前後を詰めていますよね。フォントも、欧文フォントと和文フォントを混植している。あと、文字を入力してから画面上に表示されるまでに、若干タイムラグがあるのが書き心地としておもしろい。文字に物質性が生じるんですよね。文字が若干藍色なのは、かっこいいですが、目にやや負荷があるかもしれません。僕はもう少し濃い方がいい。長文を書くのには向かない感じがするので、気分によって設定を変えられるといいと思います。

stoneには、本質的に長文に抗う面があるかもしれません。あまりにきれいに表示されすぎて、長々と言葉を連ねようという気持ちにならないんです。一行書いただけで、完成品に見えてしまう。だから、俳句や短歌を書くのに向いていると思います。あるいは、エッセイぐらいだとちょうどいい。物を書くビギナーの人が、ちょっとしたエッセイや詩を書いて楽しむのにも適したツールだと思います。

──── 千葉さんは、言葉をどのようなものとして捉えているのでしょうか?

子どもの頃は、美術系の学校を出た両親の影響もあって、絵を描いたり、オブジェを作ったりすることが遊びでした。そこから言葉の仕事に入っているので、言語作品も基本的にプラスティックアート(造形美術)として捉えている部分があるんです。僕にとって言葉は、形や音、フォントも含めて一つのオブジェクトなので、それをどう配置するかが問題になります。そしてそれは、意味をどう伝えるかということと不可分なんです。だから、言葉を純粋意味だけで扱うことは基本的にありません。

──── 千葉さんが「いい文章」だと感じるのは、どんな文章ですか?

僕は、その人の持っている「症状」が表れている文章に興味があります。ある種の病の表現ということです。病というのは、ネガティブな意味ではありません。なにかその人の深い「享楽のあり方」のことです。人には、なんらかの享楽に閉じこもっている面がある。しかし、閉じていることが開いた形で表現されている、「閉じ開いている」ような表現を、いい作品だと感じます。それは、その人の存在が表れている文章ということ。ある書き方しかできないということが、大事なんだと思います。

さまざまな書き手と出会うことで、その可能性を広げていくstoneに、これからもどうぞご期待ください。

〈本記事のロングバージョンを、stoneのWebサイトにて公開中です。〉
https://stone-type.jp/tebiki/321/

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