’89
トヨタ自動車 トヨタマーク

多国籍企業を束ねるブランドロゴのデザイン

CL トヨタ自動車 CD 梶 祐輔 AD・D 上原 昌 監修 永井 一正

このマークは1989年に制定された。それ以前のトヨタ車は車種ごとにそれぞれのエンブレムマークを表示していた。当時、すでにトヨタ車は諸外国へ盛んに輸出されている状況であったが、それらを束ねるコーポレート・ブランドマークが存在しなかった。グローバルなブランド戦略が重視される時代、当然その開発が多方面、特に海外のディーラーから強い要望の声となって上がっていたと聞く。

このニーズに応え、1988年7月、トヨタは指名10社による国際競合を企画した。オリエンテーション資料を見ると海外8社、国内2社、いずれもそうそうたるデザイン会社が名を連ね、その半数はプロダクト系の企業だった。日本デザインセンターもその内の1社に選ばれていた。

「是が非でも獲れ!」。社のトップから檄がとび、直ちに社内にプロジェクトチームが編成され作業体制が整えられたが、これだけの競合になると勝とうと思って勝てるものでもなく、不思議と肩の力は抜けていた。

さて、私はデザイン作業はすなわち「枠組みづくり」と捉えているが、その拠り所となるのはオリエンテーションである。ところが、その点については「最良のエンブレムマークを提供すること」とだけの記述だったと記憶している。つまり、「最良のエンブレムマーク」はどうあるべきか、その解を出すことがすでに競合になっていると理解した。マーク開発の機能的クライテリアを踏まえた上で、「トヨタ─モチーフT」「車─動感」「成長発展─未来的」「エンブレムとボディとの一体調和の観点から面描写より線描写」「軽快感、グレード感、洗練性などから線描写も太身ではなく細身」「車のセンター部分に表示されることが多いから不定形ではなく対称図形」「安全性から角なし図形」「さまざまなアイテムへの表示が予想されるので展開力のある図形」「生産コスト面からワンパーツ、かつ歩留まりの良い構造」などなど。私なりの「枠組み」であった。

一次選考までは1か月。社内のデザイナー多数に招集がかかり、3週間ほどで約300の試作が制作され、プロジェクトリーダー梶祐輔とデザイン総括永井一正により提出上限24案に絞られた。競合10社合計で240案はあったはずだ。

一次選考では各社5案が選出され、うち自薦3案をメタル製の実物模型に仕上げ、構造図面とともに提出した。これら各社の実物試作は、恐らく実際に車両に装着されるなどの検討を経て、国際規模の商標調査という苛酷なサバイバルレースに臨んだようだ。これはデザイン、造形の競争ではなく、似たものが出てくればその時点で脱落する、まさに「運」との戦いというわけだ。世界展開するトヨタともなれば、当然その壁は厚く、そして高い。だから、最終決定の知らせを受けた時は「運が良かった」という、まるでクジにでも当たったような気分だった。

1989年10月、トヨタ最高級車セルシオの発売予告広告で初めて世に披露され話題を呼んだ。作業が始まって1年以上が経っていた。

その後、このマークは徐々に広くグラフィック媒体へと展開していった。媒体とも言える車両に最適なマークをまず開発し、効率的に認知度を高め、コーポレート・ブランドマークとしての市民権を獲得する。まさに、川下から川上へ遡上するようなCI導入手法。そこには、リスクと抵抗を避け、効率かつ効果的に結果に結びつける超大企業ならではの綿密、周到、巧みな戦略を見た思いがした。

なお、このマーク開発の一連のプロセスをCI活動と捉えているのは、筆者の独断であることを付記する。

*機能的クライテリア
マーク開発における機能面の拠り所。独自性、審美性、再現性、図形想起性、視認性など。

上原昌(うえはら・まさし)
1935年東京生まれ。66年NDC入社。トヨタ、ニコンを担当、CI研究所所長を経て、 95年退社。