’79
セイコー 「なぜ、時計も着替えないの。」

新たなライフスタイルを生み出したコピーライティングとデザイン

CL 服部セイコー CD・C 粟野 牧夫 AD・D サイトウ マコト D 作宮 隆 I 空山 基
P 秋元 茂 PR 大西 孝昌 AG 第一企画

1979年のある日の午後、宣伝課長から電話がかかってきた。「いつもの喫茶店でお茶でも飲みませんか」と。いつものように楽しい会話を期待していると、課長はややこわばった顔で、「女持ちを15%上げたい」と言った。これがオリエンテーションだった。後に10年もの長きにわたって展開されるプロジェクトのオリエンテーションは、通常の春と秋の2大キャンペーンとは別のかたちで、変則的にふたりだけで行われたのである。このオリエンテーションがセイコーにとっていかに重大で深刻な課題か、それは課長の表情で分かった。

深刻な状況をちょっと解説すると、当時、女性用の時計の普及率はほとんど100%に近かった上、ひとつ持っていれば十分満足で、買い替えなんていう発想は、故障でもしない限りなかった。しかも、時計は生産技術の向上で故障が少なくなり、購買動機が消滅しかねないという大ピンチであった。男性用の場合はまだ、学生→新入社員→課長→部長と買い替えていくグレードアップマーケティングが存在していたのだが、女性用のマーケティングはまったく行き詰まっていたのだ。こうした背景を裏付けて、男性用に対して女性用の販売比率は15%も下回っていたのである。

大変な宿題であった。この課題は、これまでの新商品シズル広告や、買い替え促進広告など、通常の広告の手法ではとても解決できない。もっとベーシックなところで、女性の生活の中に時計を買う理由を、新たにつくらねばならなかったのである。

私たちNDCのプレゼンテーションは、複数使用の習慣化であった。今の若い方には考えられないかもしれないが、当時の女性にとって時計は時を計る機械であり、着替えるなんていう発想は全くなかった。こうした状況を打開する壮大な戦略が、「なぜ、時計も着替えないの。」であった。

例えば女性が朝出かける前に、アクセサリーとかバッグとか靴を選ぶように、時計もその日の服に合わせて選ぶような、そんな楽しさを提案し定着させようというものである。バッグだって靴だって、最初はひとつあれば十分だったものを、マーケティング努力で着替え商品に成長させたのだ。時計だって、おしゃれのパーツとしてコーディネートする楽しさを啓蒙すれば、その楽しさはごく自然に受け入れられるという提案であった。

立ち上がりの作品は、ADのサイトウマコトによる強烈なインパクトが話題になった。

CL 服部セイコー CD・C 粟野 牧夫 AD・D サイトウ マコト D 作宮 隆 I 空山 基
P 秋元 茂、青木 誠一(左のみ) PR 大西 孝昌 AG 第一企画

ご覧のように、サイトウならではの幻想的な背景の上に、時計をした真っ赤な手袋の手、その手先にもうひとつの時計がある。このふたつの時計は、例えば金色と銀色、メタルベルトと皮ベルトというように、着替えの提案になっている。このビジュアルパターンと「なぜ、時計も着替えないの。」というコピーは、コミュニケーションロゴとして、テレビ、ラジオ、雑誌、ポスター、POPなどさまざまな媒体で、その媒体特性に合わせた表現で展開された。この立ち上がりキャンペーンは、かなりの抵抗を押し切っての実施と聞いていただけに、その成果が気になったが、1年目にして、なんとあの15%の断層が埋まったのである。

初年度の成功により、このキャンペーンはなんと10年も続くことになった。その間、商品企画部により着替え用の時計が次々と開発され、ヒット商品が続出した。販売店も売り方を変えて頑張ってくれた。こうしたマーケティングセクションの一丸となった努力により、キャンペーンの勢いは年々増した。女性雑誌も記事で着替え促進を応援してくれた。時計は生活の中で、機械からファッショングッズへ完全にポジションを変えた。その結果この10年で、女性たちは平均2~3個の時計で着替えを楽しむ時代に変わったのである。

粟野牧夫(あわの・まきお)
1936年生まれ。60年明治大学商学部卒後、製薬会社宣伝部、広告代理店等を経て、64年~2003年まで日本デザインセンター在籍。セイコー、ワコール、ニナリッチ、伊勢丹、東芝、トヨタ、ニコン、野村證券、三菱商事、ランドマークタワー、朝日新聞社などを手がける。朝日広告賞、毎日広告賞、日経広告賞、フジサンケイ広告賞、雑誌広告賞、日本DM大賞、TCC賞、ACC賞、新聞広告電通賞、ポスター広告電通賞、消費者の選んだ広告賞など受賞。