’60
朝日麦酒 「ビールつくり三代」

人を描くことで企業の真価を伝える企業広告シリーズ

CL 朝日麦酒 AD・D 山城 隆一 D 植松 国臣 C 梶 祐輔 P 山本 善之助

NDCが設立された1960年はいろいろな意味で戦後を語るにあたって無視することのできない重要な年である。日米新安保条約が批准された年でもあり、世界デザイン会議が開催された「デザイン・イヤー」でもある。日本が高度経済成長の道を歩み始め、経営戦略の一環として本格的にマーケティングが機能し始めた年として「マーケティング元年」とも呼ばれている。各企業がマーケティングの一翼としての広告に目を向け、力を入れ始めたのである。

NDCスタート直後の仕事の中で最も世間の注目を浴びたのは、「ビールつくり三代」で始まるアサヒビールの企業広告であった。まだ企業広告がほとんどない時代、「ビールつくり三代」は、同社吹田工場で親子三代ビールつくりを続ける無名の工員一家に焦点を合わせてビール醸造家魂を謳いあげた、企業広告の名作である。アートディレクションは山城隆一、コピーは梶祐輔、写真は山本善之助。山本は広告写真を撮ったことのない報道カメラマンで、飾り気のないストレートなドキュメント写真が新鮮であった。

東芝を始めとして数々の広告を送り出していた山城隆一は、この頃まさに脂の乗りきった時代を迎えていた。グラフィックデザイナーとしても優れているが、山城は広告が抜群にうまい。亀倉雄策がNDC創設にあたり、まず山城を誘ったのは、山城の広告づくりの力を信頼していたからである。

亀倉の作風が構成的でクールであるとすれば、山城の作風は詩的でヒューマニズムに支えられた温かさが特徴である。山城が世の中に注ぐヒューマンな眼差しが存分に発揮されたこの広告が新聞に出て以来、「広告を見て涙がポロポロとこぼれた」「仕事の尊さと人生の意義を感じた」「広告の特異性、新鮮さに驚いた」「世界一いい広告、宣伝課の腕を高く買う」といった投書がアサヒビールに寄せられたという。このシリーズは、すべてが新聞全ページという、当時としては全く前例のない大スペースを使っており、その意味でも世間の度肝を抜いたのだった。

ここまで思い切った広告づくりができたのは、当時のアサヒビール社長でNDCの初代会長を務めてくださった山本為三郎あってこそであった。最後の財界人と言われた豪放磊落な人柄の山本率いるアサヒビールは、「ビールつくり三代」を皮切りに60年の広告はすべてドキュメンタリー・タッチで展開するという画期的なキャンペーン戦略をとり、広告活動の面で他社、他業種をリードしていた。実際、このアサヒビールの企業広告が呼び水となり、その後さまざまな企業が企業広告を実施するようになったのである。

その後広告は大型化し、さらにテレビの登場によって、企業間の広告競争はいっそう熾烈になっていく。その中でNDCは、日本の産業界とグラフィックデザインの理想的な結合を目指し続けてきた。「ビールつくり三代」は、その原点ともいえる広告である。

永井一正(ながい・かずまさ)
1929年大阪生まれ。51年東京藝術大学彫刻科中退。60年日本デザインセンター創立とともに参加。現在、最高顧問。多くのCI、マークのほか、80年代後半より動物をモチーフにした「LIFE」シリーズを展開している。主な受賞に日宣美会員賞、朝日広告賞、東京国際版画ビエンナーレ東京国立近代美術館賞、ADCグランプリ・ADC会員最高賞。東京ADC「HALL OF FAME」(殿堂入り)、日本宣伝賞山名賞、亀倉雄策賞、勝見勝賞、毎日デザイン賞、毎日芸術賞、通産大臣デザイン功労賞、芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章、勲四等旭日小綬章、ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ金賞・銀賞・特別賞、ブルノ国際グラフィックビエンナーレグランプリ・金賞、メキシコ国際ポスタービエンナーレ第1位賞、モスクワ国際ポスタートリエンナーレグランプリ、ザグレブ国際ポスター展グランプリ、ヘルシンキ国際ポスタービエンナーレグランプリ、ウクライナ国際グラフィックアート・ポスタートリエンナーレグランプリ、アジアパシフィックポスター展(香港)グランプリなど多数。

CL 朝日麦酒 AD・D 山城 隆一 D 植松 国臣 P 山本 善之助 C 梶 祐輔

CL 朝日麦酒 AD 山城 隆一 D 田中 博、内柴 正臣 P 林 宏樹 C 梶 祐輔