

CL 森ビル AD・D 原 研哉 D 井上 幸恵、下田 理恵 書体デザイン 大黒 大悟、甲田 さやか PR 森崎 展也

森ビルVI計画は、六本木ヒルズの頭頂部にできるアート施設のイメージについて、森稔社長と対話を繰り返す中から発生したプロジェクトである。
六本木ヒルズ以前、複合都市開発と言えば、アークヒルズや恵比寿ガーデンプレイスが知られていたが、前者は六本木ヒルズと比較すると立地的にやや控えめで、後者は大きな工場跡地の商業用途への転用という印象で、都市開発としてはやや切実さが希薄であった。つまり、ホテルやオフィス、住居、そして商業・文化ゾーンが複合的に計画され、賑わいの創出によって場の価値を高め、テナント収益を向上させていくというビジネスのかたちに、世間はまだ注目してはいなかったのである。地価の上昇は一般的には不動産投資の加速によるものという認識で、地道な土地の確保と緻密な都市構想そのものが土地や建物の価値を創造していくというビジネスモデルも、世間一般には明快に認知されていなかった。実際にそれを巨大スケールで展開できる土地も事業者も極めて少なかったからである。
六本木ヒルズは、ビル開発を脱して複合都市開発を目指す象徴的な事業として、森ビルが長年にわたって力を注いできたプロジェクトである。この複合都市の核となるイメージを担う施設として「美術館」が構想され、それは巨大高層ビル森タワーの最上階に配される計画であった。つまりこの美術館は六本木ヒルズの重要なイメージの一端を担う文化事業となる。


巨大高層ビルの上に構築される世界規模のアート施設。それが果たしてどんなイメージになるのか。僕らはそれを模型やグラフィックスを用いて検討するお手伝いをしていており、一方ではアート施設の開館準備の一環としてその事業の思想を表現する『crossing the parallel』と題する書籍を制作したりしていた。この書籍は、森稔社長のル・コルビュジエのアートコレクションを収録したもので、表題は、交差しないものを横断して行くという、事業の意志を暗示するものであった。森ビルVIの発注は、そういう状況の中で依頼を受けた仕事である。
オフィス、住居、商業ゾーン、そしてアート施設のような文化ゾーンを超高層都市の中に複合させることで、建築の効率は極大化する。そこに生まれる空間の余裕に豊かな緑を配し、垂直田園都市をなす。平面過密・垂直過疎の東京を、空に向けて開発するという強い意欲。それは建築家ル・コルビュジエが、著書『輝く都市』で示した理想の都市像であり、森ビルはまさにル・コルビュジエが描いた垂直田園都市を日本において実現しようとしていた。森ビルのシンボルマークは、超高層ビル群からなる高層都市を空へと見上げる仰角でビジュアライズしたものであり、まさに垂直田園都市のイメージの集約である。
仰ぎ見るビルの頭頂部をシンボライズしたマークは、高層建築の外観によくなじむ。屋外照明が蛍光灯かLEDへと移り変わる時期で、細かいディテールのマークは、精度の良い光源を得て夜間でもぴしりとシャープに目に入る。
このVIを導入して10年。古くからある番号付きの「森」ビルディングのVI統合へと仕事は進み始めているが、この段階では、マークに加えて、森ビル独自の、良好な可読性を持つ「森ビルフォント」を追加提案した。ビルに設置されるサインを丁寧につくり込むことによって、古いビルも、イメージの上では、高層都市群の一翼としてイメージ上の連携をはかることができる。都市をつくる会社のイメージに、緻密な奥行きを生み出すことができるのである。

原研哉(はら・けんや)
1958年岡山生まれ。グラフィックデザイナー。日本デザインセンター代表取締役。武蔵野美術大学教授。83年武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科大学院卒後、日本デザインセンター入社。アイデンティフィケーションやコミュニケーション、すなわち「もの」ではなく「こと」のデザインを専門としている。2001年より無印良品のボードメンバーとなり、その広告キャンペーンで03年東京ADC賞グランプリを受賞。近年の仕事は、松屋銀座リニューアル、梅田病院サイン計画、森ビルVI計画など。長野オリンピックの開・閉会式プログラムや、05年愛知万博の公式ポスターを制作するなど国を代表する仕事も担当。また、プロデュースした「RE DESIGN」「HAPTIC」「SENSE-WARE」などの展覧会は、デザインを社会や人間の感覚との関係でとらえ直す試みとして注目されている。近著『デザインのデザイン(DESIGNING DESIGN)』は各国語に翻訳され、世界に多数の読者を持つ。