REPORT
梅原 真 土地の力を引き出すデザイン 後編

2015年1月19日に、デザイナーの梅原真さんをお招きしてトークイベントを開催しました。
デザインの力で高知県をはじめとする地方を盛り上げてこられた梅原さん。そのお仕事の数々をご紹介いただきながら、そこにいたるまでのデザイン思考を伺いました。時折登場するダイナミックなエピソードに笑いに包まれる場面もあり、刺激的な2時間となりました。
レポート後編では、多様なフィールドで「生活者」と「モノ・コト」をつないでいく梅原さんに迫ります。

ニコニコウンチロール、会社を救う
ニコニコウンチロール、会社を救う

 

もうひとつ、自分の背景にあるデザイン理論をお話します。たとえばAを「生活者」、Bを「モノ・コト」とすると、デザイナーはAとBの間のパイプをデザインすることが仕事です。砂浜やクリは「モノ・コト」。そこにパイプをつくると、途端に「モノ・コト」からメッセージが発せられて、「生活者」に当たります。僕はデザインがうまくいくと、このパイプがどんどん広がっていくんちゃうかと思うんです。パイプを大きくしてくれたのは「しまんと地栗」「砂浜美術館」という言葉のように思います。
これも30年前。ある会社がつぶれかけていたんですよ。高知は森が多いので、紙屋さんが多いのですが、その会社もトイレットペーパーを作っていました。本当に倒産寸前で「梅原さん、私たちの最後の金を使って、どうにでもしてください」と言われました。それでつくったのが「ニコニコウンチロール」です。簡単にいうと、キリンさん、ゾウさん、ライオンさんのプリントがしてあるトイレットペーパー。子供たちがおまるからトイレに移るまでのトレーニングのプロセスで「トイレにキリンさんが居るよー」というお誘いができるしかけです。これがばか売れしまして、この会社はよみがえりました。「ニコニコウンチロール」で甦ったんです。先ほどの理論も、実はこの辺から来ています。一つの商品名が大きなデザインの役割を果たすんではないか。つまり「ニコニコウンチロール」という名前が、「生活者」と「モノ・コト」の間に大きなパイプをつくったんじゃないかと思っています。

梅原 真 Umebara Makoto
  

 

レシピにのって世界へ
レシピにのって世界へ

 

川が増水した次の日。木の高いところにレジ袋が引っ掛かっていました。水が増して川にレジ袋が流れ込むんです。流れ込んで環境によくないので、四万十川流域では、商品は全て新聞紙で包むことを提案しました。でも新聞紙はすぐ破れちゃうわけ。で、「四万十ドラマ」の従業員のおばちゃんがこんなん作ってきたんです。新聞ばっぐ。このデザインを洗練させてレシピを付けたら1,000円で売れました。今は、それのレシピをインターネットで販売し、コンテストなんかもしています。そしたらすごいことが起きました。ベルギーの放送局のディレクターが目をつけて、イン・ベルギーをやりたいといってきたんです。ベルギーの四大デザイナーと『ドモルガン』という由緒正しい新聞がタイアップした企画でした。「新聞ばっぐ」がつくれる紙面をドモルガンが提供し、そこに4人がデザインをした。新聞社は、その4人のデザイナーだったら紙面を提供しましょう、と。デザイナーの方もドモルガン社だったら、私のデザインを提供しましょうとなったわけです。四万十川に倣いコンテストもやりました。

新聞ばっぐはレシピがダウンロードできるので、世界中に広がっていきます。さらに、四万十ではインストラクターを養成しています。四万十川に来て、1泊2日で取得した卒業生は日本全国に400人います。

地球を、新聞で包もう
地球を、新聞で包もう

 

そして3.11。多くの人たちがある日突然、仕事がなくなってしまった。仮設住宅に行って新聞バッグの作り方を教えました。すると、すごい。1回しわくちゃにして、強度を増してからつくったアイデアが出てきました。仕事がない、という強烈な絶体絶命から出てきたデザインですよ。しわくちゃ。こちらで作ってもらったものは、高知銀行にノベルティーにしてくださいとお願いしまして、購入してもらいました。今年で3年目です。やり始めたのは、2013年3月11日。東北の方たちがあまりにもすごいので、じゃあニューヨークでもやりましょうということになりました。気仙沼のサンマを送ってもらって、サンマバッグを作り、ニューヨーク開催用のためのポスターを撮影してニューヨークに行きました。ぞろぞろみんなでニューヨークを歩いていたら「それどうしたの。どこで買ったの」って声をかけられるんです。「いや、これ買ったん違いますよ。自分で作ったんですよ」って答えましたけど、このばっぐからはコトバの要らないメッセージが伝わっているんだと思いました。

はじめは、「四万十川を新聞で包もう」といっていたのが、今、「地球を新聞で包もう」という風に変化しています。去年の12月には、ある商店街で、1日だけ商品の包装をすべて新聞紙でやってみようよ、ということになりました。「ワンデイ新聞バッグ」です。英語でプラスチックバッグっていいますけども、プラスチックのバッグを使わない日を決めて展開するならば、日本全国に広がりやすいんじゃないかと思ったんです。そしたら、さっそく東京の某デパートから「ワンデイ新聞バッグ」をやりたいとご連絡いただきました。現在進行中のプロジェクトです。
人間はヤリ過ぎているから今日1日だけは新聞で。そういう考え方が広がっていけば、人類のいき過ぎた感覚みたいなものも、少し考えられるんじゃないかなと思っています。

絶体絶命のデザインが守ったもの
絶体絶命のデザインが守ったもの

 

僕が39歳で住んだ、四万十川にかかっている沈下橋の話です。今「この橋がステキ」ということで観光客が集まっています。駅からタクシーで3,500円ぐらいかかるんですけども、それでも見にいく。バスツアーもあります。実は30年前はこの橋をぶっつぶして大きな橋に架けかえようという動きがありました。この沈下橋は大雨のときに沈んでしまうので、不便なんです。しかし、今は時代が変わりそのまま残していたものに人が集まり、不思議とこれがお金になっています。こんな風にこの30年の間に価値観は変わっています。当時、沈下橋は不便で悲しいものでした。今、これを観光として見に行っているんですよ。外国の方までいるんです。自分にとってこの橋の向こうに移り住んだときの目線が自分のシゴトのはじまりだったなと感じています。新聞バッグにしろ、しまんと地栗にしろ、お茶にしろ。「絶体絶命」と言いながらも、この風景を守った。カツオの一本釣りも、あそこでわらで焼かなかったら、食い止めへんかったら、と思います。この風景を守るデザインをしていく必要が、僕にはあるんではないかなと、ずっと思っています。

「柿渋ソープ」じゃない、「柿渋、男のせっけん」や
「柿渋ソープ」じゃない、
「柿渋、男のせっけん」や

 

秩父の山奥にいったら、実がボタボタと落ちている柿の木がありました。僕をそこに連れていった商工会の人は、子どものころおなかがすいているときに、この木になった柿を食べてきたんだそうです。でもそこに行ったとき、この木は既に価値がないものになっていました。
その人は僕に「この状況を何とかしてください」と言いながら、自分でも色々なことをしていました。「シブガキ隊」を結成して、柿の実を採っていました。「柿の酢は健康にいいんです」ということで柿のお酢をつくっていました。おもしろいじゃないですか。「落ちて発酵したらそのまま、でも壷に入れておいたらお酢になるんです」と。いかにも健康になりそうなお酢です。これがちょっと売れ始めたんで、調子に乗って僕のところに「柿の渋をつかったせっけんのデザインをお願いできますか」となったわけです(笑)。柿渋せっけん。聞いたら、このおばちゃんの企画書には「女性のせっけん」と書いてありました。「柿渋ソープ」。けれども、なんか気取ってて嫌やなと思いました。なので、ひとつはおばちゃんのいう通りに「女性のせっけん」をデザインして、もう一つ、別案を付けておいたんです。それが「秩父、カキシブ、男のせっけん」。女のせっけんじゃない、男のせっけんや、と。そうしたらおばちゃんにもプライドがあるんで、その後4カ月間、音信不通でした。4カ月目にメールで「やはり決めました。男のせっけんにしましょう」と言ってきてくれました。急遽パッケージデザインに。コピーの薬事法について、埼玉県の指導を仰ぐと「ナチュラルパワーは、駄目です」と言われました。さらに「角質取る」も駄目。「ナチュラル素材」やったらいいですよ。「汗スッキリ」はオーケー。いろいろ揉んで、完成形は「臭いに悩む男たちへ。ナチュラル素材の救世主」です。むちゃくちゃ効きそうなコピーを、引っ掛からない言葉を使いながら、一つに表現にしていきました。効能は書いたらあかんのです。なので、アンケートで来た人たちのメッセージをリーフレットに書きました。むっちゃくちゃおもしろいですよ。これも一つの意見なので、こんなはがきの投書が来ましたということにした。これはオーケーなんです。自分たちでこの柿渋せっけんはよく効きますよと宣伝することよりも、こんなメッセージが来ましたよということのほうが、いわゆるハードルをクリアした上で、さらに強いメッセージになっています。

山から、おしゃれに気取って出てくんではなくて、山の中からのっそり出てきたものが街の人に使われていく。マーケットで喜ばれるにはどうしたらいいのかを、考えてデザインをつくっています。「しまんと地栗」は、山でおばあちゃんがほじくっていた現場に行って、僕は悲しいなと思った。それを「しまんと地栗」にすることによって、モンブランの故郷、パリで売るというところにまでつながりました。新聞ばっぐも「川、汚さんと、新聞で包もうや」と言いながらニューヨークに行き、既にベルギーでも実現して。そう考えると、「秩父、柿渋、男のせっけん」も秩父からのっそり出てきて、やっぱり良かったんじゃないのかなと思います。

通信簿に「図工・デ」を
通信簿に「図工・デ」を

 

小学校の通信簿に「図工・デ」という項目を入れたいということをずっと思っています。大事なもんから国語、社会、算数ですか。そこを何とかしたいなと思って。「図工」ではなく、「図工・デ」。もし子どものときから「デザイン」が何かということを知っていたら、つくる人にも、頼む人にも、もっと共通認識ができますよね。ローカルではデザイン料が出ません。ポスターを作っても、「印刷屋さんに金を払うついでに、なんでお宅に金を払うんですか」みたいな感じです。「印刷屋さんはこんだけ印刷物を持ってきたじゃないですか。あなたは上に文字入れただけの人でしょう」ってなるんです(笑)。これがずっと続くんですよ。役場の職員の人もみんなもし「図工・デ」というワンフレーズが子どものときから頭に入っていれば、デザインの概念が最初から分かるわけです。図工に「デ」って片仮名1個入れるだけでいいと思うんですよ。だってもう既に「デ」のジャンルに入ることは、図工の授業でやっていると思うんですよ。

でももし「図工・デ」をさらに広げるとするならば、こういう授業はどうでしょう。ケーキ屋さんになってみよう。お店の名前を考える。日本ベーカリーなのか、日本パンなのか、パティシエ日本なのか、銀座ベーカリーなのか。これ1時間、いや、30分の授業でいいじゃないですか。僕は、パッケージデザインの90パーセントはネーミングや思っているわけですよ。だからこれはデザインの授業なわけ。次はケーキの形を考える。どんな形が売れそうか。並べ方を考える。空間デザインとかいうジャンルに入るんでしょうけど、それから包装紙を考える。バッグを考えてみよう。どんなバッグやったらケーキがおいしそうかな。これだけでいいんです。僕、大学は経済学部なので、その「デ」の概念があんまりないんです。けれども「図工・デ」では、「人」と「モノ・コト」の間のパイプをつくる部分、ネーミングなんかを集中的にやります。「図工」って言っているのは、子どものときに、ちっちゃいけつの穴をつくっているようなもんですよ。けつの穴はでかいほうがいいのです。こうなれば高知県庁に入る人もスーパーマーケットで勤める人もどんな人も「デザイン」という概念は共通して持つことになります。「デザイン」という概念を理解しておけば、発注するときに、印刷屋さんじゃなくなるわけやね。

「図工・デ」については日本グラフィックデザイナー協会と、日本パッケージデザイン協会が力を合わせて、文科省に言いませんかと提案しています。「デザイン」というのは「デザイン的思考」のことなんですよ。「しまんと地栗」も「新聞ばっぐ」もぜんぶ、考え方の根っこには、高知の海山で遊んでいたときのインプットに基づくデザイン的思考だと思うんです。この場面ええなとか思ったら、昔から自分の頭の引き出しに入れていました。そのときはデザイナーになろうと思ってないから意識はしていないんですが、今、その引き出しからアイディアを出しながら仕事をしています。打ち合わせが終わったら、引き出しから情報を選んで出してきて、解決策を探す。これがデザイン的思考だと思います。図工を教える教師たちも、そういうスタンスでやっていってほしい。日本の産業全体を変えるのはここじゃないのかな。図工を「図工・デ」にしましょう。

悲しんだらあかん、個性や、個性
悲しんだらあかん、個性や、個性

 

日本が駄目になってきているというのは、地方がその土地の力を信用しなくなってしまって「いいな、いいな、あっちいいな、あっちはお金いっぱいあるな」と考えてしまっている構図があるんだと思うんです。たとえばクリを採っているおばあちゃんを見たら、もう絶体絶命なんですよ。絶体絶命にこそデザインが要るんだけど、妙にハイカラにやってしまうとそれをつぶしてしまうので、おばあさんの持っている力とか、その土地の持っている力をどう生かしていくのかということに注力するんです。つまり、高知県は山ばっかりで悲しいということよりも、自然がたくさんあるんですよと。砂浜にも何もないんではなくって、4キロメートルも美しい砂浜があるという個性という風にとらえます。僕は全てそういうふうに思う。だからデザインをするときは、まず土地の力をどういうふうに引き出すかを考えます。土地の個性を活用しながら経済を生んでいく。そこに知恵を使います。「デザイン的思考」なんですよ。デザインは。その土地の力、その土地の特長を悲しいほうに持っていかない。ポジティブに個性と思いましょうということです。英語で言うと、身体障害で生まれた子はチャレンジドといいます。チャレンジができる子どもですよという意味です。それとちょっと似ていると思うんですけど、身体障害者とはいいません。チャレンジができる人なんですよというんです。その辺に似た感じを、僕は持っています。その土地の個性を見にいくためには、足を運ばないとできない。遠隔ではできません。とても効率が悪いんですけど、僕は効率悪くデザインをしています。

ここがデザインの原形やと思ってます
ここがデザインの原形やと思ってます

 

高知の日曜市。これは江戸時代末期からずっと続いている市です。僕はここに子どものころから通ってました。ここをのぞくとすごいデザインに出会うんです(農家の人たちが書いたダンボールのポップを見ながら)。

「味の良い粒あん」。
おばちゃんが書いたと思うんですよ。「味の良い粒あん」。ほんまにうまそうじゃないですか。

「朝倉のイモ、ほろほろ」。
ほろほろというのは高知弁でほくほくということ。ほろほろですよ。

「わせ、マッハ」。
このタマネギは、マッハのようにわせなんですよ。早く熟れちゃったんです。
早くできることを早稲って言いますけども、早稲、マッハ。

高知のおばちゃんのセンスとか、農家のセンスです。自分はこんなもん見て育っているんです。これが自分のデザインの原形やと思っています。

逆に、最近ハッとしたもの。山形新幹線の社内販売のお姉さん。たくさん売り子さんがいるのに、あるお姉さんだけが、東京発山形、山形発東京、1往復の間にみんなよりも3.5倍、売り上げがある。なぜこの人だけが3倍売るのか。答えはね、引いているんですよ。ワゴンを。ワゴンを押しながら歩いていくと、お客さんの背中を見ながら通り過ぎていますよね。でも、引いていくとお客さんと目が合う。そして「コーヒーでございますか」とにっこり話しかけるわけです。実はまだもう一つ仕掛けがあって、そこから山形弁でアプローチするんです。「あったけいのけ。つめていのけ」と。そうするとキレイなお姉さんが「あったけいのけ。つめていのけ」って言うことに対して、ものすごいコミュニケーションが生まれるんです。このお姉さんは、ワンアイデアで物を3倍売っている人、経済を3倍にしている人です。

最後に、自分の心にずっとあるものの話を。赤瀬川原平さんの「宇宙の缶詰」です。一見ただの缶なのですが、外のラベルを剥ぎ、開くと、内側にそのカニ缶のラベルが貼ってあります。そうすることで、僕たちがいる側(外側)が缶詰の中身になるという作品です。カニ缶がこの当時2,000円。たった2,000円でとんでもないクリエーティブができるんや。カンカン一個で宇宙ができる。わたしたちにも「あたらしいアタマ」が必要じゃないかと思います。