対話 14

デザインの可能性をめぐる対話

色部義昭 × 軍司匡寛 × 大黒大悟

最近のデザイン

色部僕がNDCという会社を意識し志望したのは、原さんが手がけた「RE DESIGN 日常の21世紀」展を目にしたことがきっかけでした。広告制作を主体としたデザインプロダクションが多い中で、「展覧会」という形式を通して社会に問いかけをしているような仕事を観て、デザインというものがこんなかたちで機能しうるものかと感心したのを覚えています。実は、その時初めてNDCの存在を知ったわけですが。ふたりはどうですか?

大黒僕はNDCに関しての情報を正直あまり持っていませんでしたが、永井一正さんの作品に感銘を受け、魅力を感じていました。ポスターだとかデザインだとか広告だとかは関係なく、1枚の絵で感動につながっているからです。デザインが大きくものを動かすための核となって、表現で人を感動させるということに魅力を感じています。今は無印良品のキャンペーン・ビジュアルや、VI、サイン計画、展覧会グラフィック、パッケージなどを担当し、その中で文化的価値が社会でしっかり機能する現場を感じています。

軍司自分は、大学でモーショングラフィックスやアニメーションなどの映像を勉強していて、ソール・バスやロンドンのシャイノーラの作品に興味を持っていました。いざ就職活動となり映像のほうに行くかどうか考えた時、バスやシャイノーラの仕事はグラフィックデザインを動かしているという意識が強いと思い、僕自身も一枚絵のグラフィックの羅列が映像やアニメーションになっているという論に興味を持ち始めていたので、グラフィックデザインが強いNDCを志望しました。造形の魅力からグラフィックデザインに入ってきているので、まだまだ奥が深いというのも手伝い、一生をかけて追究するテーマにふさわしいと思って現在に至っています。

色部僕もビジュアル一本で勝負するグラフィックの造形性に惹かれてこの仕事を選びました。グラフィックというと広告志向の人が多いかもしれませんが、僕の場合は長い時間を経てもかたちが残るもの、マークだったりサインだったりパッケージなどにもともと興味がありました。最近はありがたいことに、VIとそれに関係した施設のサイン計画の仕事などが多くなってきています。美術館とか商業施設など、対象は徐々に広がりつつあるのですが、マークひとつを提案して終わりではなく、施設の内部で展開される視覚的な情報を総合し、全体でひとつの世界にまとめあげていくような仕事です。近年、そのようにグラフィックデザイナーが空間を編集していくような仕事が増えてきているような気がします。グラフィックデザイナーでもビジュアルコミュニケーションを軸にすれば空間のデザインを提案できる。僕自身の興味の矛先でもあるのですが、社会のほうからもそういったグラフィックの力に期待をしているような感じがしています。

大黒現在僕は企業のVIとして機能するコーポレートフォントを制作しています。ヘルベチカやユニバースなどの、可読性が良く、汎用性に優れた書体を参考にしながら。コミュニケーションの深度を深めていく上で、書体そのものの展開によって引き出される品質感や、アイデンティティの構築は今後ますます重要性を帯びてくるでしょうし、非常に興味があります。

色部コーポレートフォントへの展開を見てもそうですが、最近のVIやブランディングというものの表現が大きく変わってきているように感じますね。「一番目立つ部分だけ装ってデザインしました」ではなく、コーポレートフォントのように末端の分子レベルまで総動員して、粒子の集合体でひとつのアイデンティティをつくっていくような表現。かつてマークというものは、強さやインパクトを誇示するシンボルそのもので、フォルムひとつとっても硬くて鈍重なものが多かったように思いますが、最近は、重さや強すぎる象徴性は敬遠され、軽くて柔軟性があるものが求められつつあるように感じますね。インターネットなどの時間軸を持つ表現メディアの出現により、硬く重く定着させることを企図したような造形表現から、軽やかに柔らかく変化し続ける、粒子や液体のように自由に変化する造形表現がどんどん生まれてきている。おそらく表現メディアの変化が、VIの造形性や発想にも強く影響を与えていますよね。

軍司インターネットなどの恩恵を受けて、「映像的なものの見方」を社会ができるようになり、この分野は、今後ますます需要が増えていくと思います。革新的だったのがTOMATOのテレビ朝日VIや、ソニーのVIモーショングラフィックスなどです。ああいったものは日本では展開されていなかった、映像的な発想がないとおもしろくできないものでした。これらが良い成功事例となって、VIに物語性が加わり、ますます多様化してきて、例えば建物についているVIが変形したりフレキシブルに対応するようになったのだと思うんですよね。実際、グラフィックデザインでできることはいっぱいあるんだ、という可能性を感じました。

大黒ウェブはまだ過渡期だと思いますが、そこから広がる新たな表現の可能性によって、グラフィックでしかできないことの意識が高まり、さらにグラフィックも革新していくでしょうね。社会や、企業の個性を引き立たせるために、グラフィックデザイナーが考える領域がずいぶん広がっている。多様化した社会の中で、より最適な定着の方法を見つけ出すということを常に意識しなければいけません。プロダクトデザインが、機能美に収まるとすれば、グラフィックはインタラクティブ性や使いやすさの可能性を探っていく必要がある。企業が求めているものは多いし、自分でトライしたいこともたくさんある。自分達がどこまでできるかは未知の部分が多く、10年後に世界がどうなっているのか、本当に分からないですけれど、興味あることはまず行動して実験してみたいと思っています。アナログとデジタルが共存していることで表現の自由度が増し、さまざまなものを試して、選ぶことで、その影響力の強さに気づく。今、僕達は全く新しいカテゴリーを生み出せる時代にいるような気がしています。既存の媒体にとらわれず、伝えたい内容によって、提案の可能性が広がっていくことに、とてもやりがいを感じますね。

軍司インタラクティブだったりデジタルだったりする部分が進めば進むほど、一枚絵のデザイン能力ってすごく重要ですね。

大黒誰でも技術的にはデザインできる時代になってきていると感じますが、プロのデザイナーとしてのセンスや表現力では、自分たちは抜きん出ていないといけない。

軍司自分はインタラクティブ・インスタレーションには可能性があると思っていて、プロジェクトを継続的に発表しているんです。パブリックアートでありサインでもあるインスタレーションです。デザインとアートはそもそも同じだったのに機能美術(デザイン)と鑑賞美術(ファインアート)と分かれて発展してきた。しかし、インタラクティブ・インスタレーションは鑑賞だけど機能を持つということに可能性を感じています。今後、こういうシステムをより簡単に恒久的に常設できるようになると、空間が変わるのではないかと思いますね。

もうひとつ言いたいのは、今、インタラクティブデザインやインタラクティブ・インスタレーションをやっている人のつくるものは、冷たくなりがちです。僕もそういうものは好きだけど、老若男女が楽しめるものには親しみやすさが必要。デジタルに親しみやすさを加味するのは難しいことですが、自分のアイデンティティとしてやっていきたいです。

大黒見た目がクールに収まるのはいいけれど、発想の出発点でかっこよさを求めすぎていると、大切な部分を忘れてしまいますよね。僕はいつもポジティブなモチベーションで発想したいと思っているのですが、根底に血が流れている感覚があると、そこにググッと引っぱられて感動につながるし、記憶にもつながると考えています。

色部目線の高さもあるんですよね。見上げたり見下げたりする目線じゃなくて、同じ地平に立って見ている。水平な目線のコミュニケーション。

大黒そうですね。子ども対象だからってわざわざ目線を下げているデザインはたくさんあるけど、上から見ている限り、子どもは怖がってしまう。僕は、何百人、何万人に理解してもらうより、まず近くにいる人が深く感動してくれるほうが嬉しい。最初に全体を見過ぎると発想が観念化してしまうので、そうならないように意識しています。

色部パブリックアートや公共サインのようなものは、コミュニケーションの坩堝るつぼで、これからもっと有りようが変化し、どんどん進化していく可能性を秘めてますね。建築家は空間、「間」をつくっていくものですが、人が空間を体験して圧倒的に記憶に残るものは、やっぱりビジュアルなんじゃないかと思うんですよね。だから建築は最近グラフィックに接近してきている。グラフィックは今どこにいるのか、この建物は何なのかという具体的な情報をテキストなどで瞬時に開示できるというところで、役割を担ってきたわけですが、グラフィック的な視点からファサードや壁紙、色彩やパターンをもっと有効に使えば、その場の雰囲気や空間の質みたいなものまで瞬時に刷新してしまうこともできる。そういったグラフィックの即効性みたいなものは、改めて注目されてきている気がします。

多様化するメディアの中で

大黒メディアが増えて表現の可能性が広がった。手をつけられるべきところはたくさんあるけれど、切れ味鋭い一番尖った刀として持っていたいのがグラフィックです。それを鍛錬していくことが個性にもつながりますし、さまざまな要求に的確に応えることができるようになると考えています。変に時代を追い続けていくと後々何も残らない。常に原点に戻って、グラフィックの「極めつき」を探っていきたいと思っていますね。

軍司自分もなるべくメディアへのアプローチだけで終わらないという仕事をしたいです。アイデアだけで終わっているものって結局、何年か経つと形骸化しますよね。表現上で言葉にできない何かをうまく残してあげることができれば、後々、恒久的に人に何かを残せるのではないか、実はそれがものすごく重要ではないかということを常に思っています。作品が解りやすさに寄り過ぎてしまうと、後々に廃れてしまうような切ない部分があるので、理解しにくい部分があったほうが、結局はデザイン的にも機能するんじゃないでしょうか。

色部メディアが増え続けて変化しても、改めて思うのはグラフィックデザインはビジュアルと文字の関係づくりが基本だと思っています。それらが良好な関係になるように最適な表現を求めていくことが基本であると……。僕もその技術なり感覚なりを磨き続けてグラフィックを極めたいという欲求があります。また、一方ではアートディレクターとしてプラットフォームから構想していくような視点にも興味を持ち始めています。スポーツを例に挙げれば、ラインを引いてコートをつくる。ゴールはふたつ、ボールはひとつで。足を使ってゴールに入れたら点が入るというルールをつくる。それがサッカーという競技の基本プラットフォームとなるわけですが、それを上手に定義した結果プレーヤーが自由に動き出し、戦術という発想がそこからどんどん生まれてきた。優れたプラットフォームがデザインできれば、未来永劫進化し続けるものになるわけです。現実のデザインに置き換えれば、良い雑誌のフォーマットを開発すれば画像もテキストもどんどん生きてくる。ルールというものを規定することが、逆にコンテンツを引き立たせる。規則で不自由になるかと思えばそうでもない。かえってデザインの自立性や素材そのものを際立たせてくれることがあったりする。そういったクリエイションを誘うようなプラットフォームについて考え始めるとワクワクしますね。

大黒僕は今までとは違う自分なりの方法で社会を巻き込む動きをつくりたいと考えています。それを実現するためには、表層を取り繕うよりも、物事を動かす「仕組み」をつくることが、デザインに求められている新たなフェーズだと思います。

軍司さまざまな媒体をひとつの大きなものづくりの中に巻き込む仕事、という意味で自分は原さんの考え方に学んでいます。そこを踏まえた自分の矛先は、比重をデジタルの方向に寄せ、そこを入口にして最後は紙まで、全体をディレクションできるようにすることです。それは、単純にワンビジュアルを既存の媒体に展開するやり方ではなく、核になるコンセプトを、媒体ごとに適切な表現に変えて展開するというやり方。さらには、媒体自体も新しく開発・整理していくというやり方。そんな仕事を目指しているんですよね。

色部iPadやツイッターといろいろなコミュニケーションツールやその方法がどんどん刷新されていく現状ですが、コミュニケーションの可能性って媒体の新旧とかはあまり関係ないところに潜んでる感じがするんですよね。意外と見落としがちな足元にこそまだまだ潜んでいるというか……。

軍司それは思いますよ。最近では長い歴史を持つ新聞広告でもいろいろできるんじゃないかと思っていて。見逃していたおもしろさやできることに、いかに気づくことができるか。それには着眼点を変える、毎日、ゲシュタルトを崩壊しまくる。そうすれば、人生も発想も一新されるのではないでしょうか。

大黒今あるものを全部捨てて新しいものを探っていくというより、今までの中に相当いいものがたくさんあり、それをさらにブラッシュアップしていくという方法はあるでしょうね。インターネットを通じて世界が広がったからこそ、隣にあった素材が一変して機能する一面が生まれ、そこに新たな可能性が生まれるだろうと強く感じています。

軍司そうそう、古典的なものと現代的なものの接点を見つけるだけで実はすごくおもしろかったり、バーチャルの中のものと現実のものを結びつけるだけでも意外におもしろいですよね。そして、今様のものを追うリスクも感じます。ハード用にコンテンツをつくった瞬間にハードが変わってしまう。それは孫正義さんくらいの果断スピードじゃないと対応できない。レイ・カーツワイルという博士は35年後にはシンギュラリティが訪れて、身体2.0みたいな時代が生まれてしまうと言っていたりする。それはもう、『攻殻機動隊』の世界のようなものだから。食いついてはいくけれども、冷静な目で見なければ対応しきれなくなると思いますね。

大黒そうですね。技術ももちろん大事だけど、僕は表現のクオリティの問題に注目したい。技術だけが先行して、僕らがやろうとしている「感情を動かす」部分が置いてきぼりになってしまっては、全く魅力的ではないと思います。

軍司技術はできる・できないの回答で終わっちゃう感じですよね。これができるから他のものが古いとか、そういうことではないように思います。伝えたいことがまずあって、技術が手助けしてくれる。伝えたいことが一番重要ですよね。

今、情報が蔓延しているから、ネット上の言葉を、自分の言葉として無意識にでも選んでいる部分が本当にあります。誰かの価値観に乗っかってしまっているというか。自分の審美眼でこれがいいと言っている人はすごく少ないと思う。これが本当にいいのか悪いのか。どういう基準で選んでいるのか。自分の価値観がどこにあるのかがよく分からなくなっている。だからこそ新しいものが出てきにくい世の中なのかもしれないと思うんです。新しい価値観を提示するっていうのは難しいことです。特にネット世代の人達は情報に踊らされて、何を信じていいのか分からないのだと思う。実際に報道されている内容でも何が言いたいのか分からないっていうのがほとんどじゃないですか。結局どれが本当でどれがか分からない。昔は「宇宙ってどんなの?」みたいな、漠然とした不思議っていうのはありましたけど、今はほんのちょっとした身近なことでも不思議だらけになっています。今後何を信じればいいのか分かりませんが、ただひとつ、感覚的に暑いとか寒いとか、自分で経験したリアルな感情だけは、自分の中で信じておきたいと思う。今日寒いと思ったら、絶対寒いと思って、誰かが今日あったかいねって言っても暖かいと思わないようにしようと思って。伝えたいことがぶれないために、なるべく自分がぶれないようにしたいです。

色部感覚とか感情ってつくるものに直結する大事なところ。それで、ビジュアルコミュニケーションから受ける感覚や感動って何だろうと考えると、視覚的な美しさみたいなものに代表されるのですが、整理される心地良さとか、張りつめた緊張感とか、予期せぬ対比とか……いろいろありそうで考えるときりがないんです。先日観た映画「アバター」の3D映像も視覚的に気持ち良かった。なぜだろうと自分なりに考えてみたんですが、3Dという技術を通して現実よりも空間の位置関係がクリアに処理された映像。それが脳に照射されるような体験。クリアであることって、ものすごく気持ちいい視覚体験なんじゃないかと。

軍司監督が演出したいことを純粋に整理するための技術なんですよね。

色部そぎ落として、ただ単純に整理してクリアにするのじゃなくて、ちゃんとそこに複雑で圧倒的な情報量がありながらクリアになっているところがすごい。映像の技術としても、それを実現しようとする情熱にしてもすごいことだと思いましたね。グラフィックに話をシフトすると、ただ単純すぎでは魅力がない。複雑で繊細な情報も含んで足しきったものがクリアに表現されている状態が美しいし魅力を感じますね。

大黒情報がたくさんある中で、自分の世界観をいかにして出すかは、何を表現したいかという自分の取捨選択能力だけですよね。何が好きで嫌いかというのは、もうそろそろ分かってきている。いろいろな方向にアンテナを張っておくことは重要ですが、心の中で気持ちいいと思わない方向へは行かないようにしています。ひとつひとつ良いと感じたことを突き詰めていったら、さらにその先に別の扉が見えた、という状態をつくっていきたいと思っています。その中で大切なのが人とのつながりだと思うんです。

仕事をしていく上で、自分がいいなと思っている案をゴリ押ししても、お互いハッピーにならないとこの仕事をしている意味がない。そのためには伝える努力が必要になってきます。原さんのプレゼンテーションを間近で見て非常に大切だと感じるのは、目標を具現化していくために、プロジェクトに関わる全員に高い共通認識を持たせるということです。そうすることによって、ぼやけていた水平線にピントがばっちり合い、明確な意志を持ってそこへ前進することができる。僕も的確に本質をつかみとり、伝えていく努力を惜しまないようにしたいです。

軍司まず、おもしろそうな仕事があるなら全部受ける。断らないようにすることで別の可能性とアイデアも出てきて、何がそこから生まれるか分からないから。動くということは、人と会うってことですよね。自分は人と人が会うっていうことが大事なんじゃないかなと思います。

大黒今、調べている江戸時代後期の読本の中に『椿説弓張月ちんせつゆみはりづき』というのがあって、葛飾北斎の絵がずば抜けているんですよ。すごく独創的な構図、表現がたくさんあって、彼をもりたてて力を付けさせていくのが曲亭馬琴。本阿弥光悦と俵屋宗達もそうですが、光悦や馬琴はアートディレクター的な才能を持っていて、とんでもない化学反応みたいなものがそこに起こっている。さらにこれからはもっと多種多様なジャンルの人達と出会ってコラボレーションできる機会が増え、そこには無限の可能性が潜んでいると思うので、人と人とのつながりを非常に大切にしていきたいと考えています。そこから生まれたデザインや広告が、「新しい価値が生まれるもの」として、社会への提案につながっていくのではないでしょうか。

人と人が会うっていうことで感じたのは、当たり前だけど、メールのやりとりでは、ダメなんだなって。ちゃんと近くに行って顔を合わせて話をすると、ちょっとした表情の違いから相手の気持ちを察するから、話もきちんと伝わりやすく、ずいぶん物事が進みますよね。

色部悪く言えば、人と人なんてほぼ誤解じゃないですか。そのうえキーボードで入力したメールのやりとりでは、ますます誤解が広がっちゃいますよね。

軍司メールで真逆のこと言ってる時があるから、結構怖いですよね。だから人と人はやっぱり会ったほうがいいですよね。なかなか人に出会いづらい世の中になっているんじゃないかなとは思いますけど。

デザインするモチベーション

軍司まず純粋に、世の中に自分が追求した美しいものを残したいというモチベーションがあります。つくったものによって誰かに何らかの影響を与えることで、自分が社会と関係できているという、自分の存在価値を改めて再確認できるモチベーションです。なるべく多様な人がそれに対して反応してくれるといいかなと思います。できれば好意的な反応が良いですが、時には批判的な反応でもいいかもしれません。この反響が必ず必要な部分です。誰かが何かを思ってくれるという前提で、そのデザインが始まるという……それが僕を揺り動かします。なので、なぜか、暇すぎて時間を持て余し、その反響をしばらく受けないでいると精神的にも具合が悪くなってくる。ということは、職業の選択の自由と勤労の義務は、わりと人間を活かしてる部分なのかなと。勤労の義務と言ってくれてよかったと思います。勤労の権利だったら、より厭世的な人が増えるかもしれない……。

色部確かにデザインを通して社会とコミットしていない状況が続くと具合悪くなりますね。自分がデザインを選んだのは、まずそこに依頼者がいるということ。具体的な会社や人でなくても、社会に漂う気配のようなものでも良いのですが、要求というものを外側から働きかけられるということです。僕は、絵を描いて生きていきたいっていう漠然としたビジョンを持ちながら学生時代を過ごしたのですが、何を描くかというテーマこそがとても重要だと思ったきり何も描けなくなった。当時、取り組むテーマというものを自分の内側を探り続けて何も見つけられなかった。悶々とした状況でアートとデザインをめぐる旅に出たりしながら徐々にデザインというものに触れていったんですが。ある時、外側にあって浮遊しているような要求をつかまえてかたちに定着させること、その営為がデザインというものかもしれないと感じたことがあって、これこそ自分の天職だと。こういうことならば自分にもできるし、その活動を通して社会と関わり続けていけると思ったんです。そこにあるものを最良のかたちに編集して定着させていく。行きつくところ、デザインを通して人々の頭の中に「!」を立てられたらいいなと。

軍司小さい「!」でもいいですよね。

色部デザイナーという肩書きを借りると、本当に大小さまざまなテーマというものにアクセスしやすい立場になれる、その健全さが良いですね。グラフィックデザイナーをテキストと図像を扱う人、「情報の仲介人」のような職能と捉えれば、広告やブランディングに限らず社会のあらゆる局面に自由に介入していける可能性がある。とりあえず建築や環境へのアプローチは、まだまだ事例が少ないので探っていきたいと思っていますが。

軍司新しいことにチャレンジしたいなとは常に考えています。これできそう、とかずっと思っていても、ある日気づいたら全然おもしろくなかったりとか(笑)、山ほどありますけど、最近はいくつか思い描いている感じではいます。かたちになった試しはほとんどありませんが、持っておくのはいいかなと思って。今後、どんどん仕事でデザインが機能している前例をつくれればいいと思う。

色部そう、まさに前例となる……そんな仕事をつくっていきたいですね。

大黒トライできる扉は全部ノックする。挑戦したいと思うところは踏み出してでもやってみる。そして、全体を俯瞰した時に自分の立ち位置を知り、本来であれば単発で終わるはずであった仕事を、次の仕事につなげることができるようにしたいですよね。仕事をするというより、仕事をつくるというか。ひとつ仕事が終わるたびにまた新たなことがやりたくなるので、デザインする環境をしっかりつくって、新しい価値観を生み出して行きたいと思っています。モチベーションを上げるのもデザインのうちですからね。

2010年2月10日

色部義昭(いろべ・よしあき)
1974年千葉県生まれ。2003年東京藝術大学大学院修士課程修了後、日本デザインセンター入社。原デザイン研究所での勤務を経て、現在VIからSPツール、パッケージデザイン、展覧会グラフィック、サイン計画など、平面から立体、空間までデザインを展開。08年SDA最優秀賞、09年JAGDA賞、JAGDA新人賞、ADC賞受賞。
軍司匡寛(ぐんじ・ただひろ)
1978年福井県生まれ。2002年東京藝術大学美術学部デザイン科卒業。同年、日本デザインセンター入社。グラフィックデザインを平面から映像、空間まで広く展開。07年JAGDA新人賞、 06年横浜トリエンナーレで映像作品上映。08年DVD magazine『STASH』に映像作品収録。
大黒大悟(だいこく・だいご)
1979年広島県生まれ。2003年金沢美術工芸大学視覚デザイン科卒業後、日本デザインセンター入社。原デザイン研究所在籍。VI、SPツール、展覧会グラフィック、サイン計画、映像編集など、平面から立体、映像、空間までデザインを展開。朝日広告賞小型広告賞、毎日広告デザイン賞奨励賞、N.Y.ADC Merit Award受賞。One Showファイナリスト。
*ソール・バス(Saul Bass)
アメリカのグラフィックデザイナー。1920〜96年。映画界にタイトルデザインの分野を確立。コーポレートアイデンティティ、ロゴを始め、数々の名作を残した。
*シャイノーラ(Shynola)
イギリスの映像集団。手の込んだアニメーションを用いて、レディオヘッドなどミュージシャンのPVなど制作。
川村記念美術館 VI
川村記念美術館 VI
2008
AD・D 色部義昭
川村記念美術館サイン計画
川村記念美術館サイン計画
2008
AD・D 色部義昭
BOUQUIN BOUQUET ギフトパッケージ
「BOUQUIN BOUQUET」
ギフトパッケージ
2009
AD・D 色部義昭
6sense 展覧会ポスター
「6sense」展覧会ポスター
2008
AD・D 色部義昭
House of cake インスタレーション
House of cake(お菓子の家)
インスタレーション 2008
CD・AD 軍司匡寛
エディター・映像撮影 笠原淳
プログラム 松波直秀、赤沼裕司
P 力石友弥
音楽制作 ヤマダタツヤ
プロデュース 木内智啓、山出幹夫
CL QLEA.inc
花キューピット 花束新聞
花キューピット・花束新聞 2010
CD 金子裕也(朝日新聞社)
AD・D 軍司匡寛 C 磯目健
  P 浜崎昭匡 PR 平井信太郎
CL 花キューピット協同組合
「新聞をまったく新しいメディアとして生まれ変わらせたい」という朝日新聞社の要請から始まったプロジェクト。「花を新聞に包み込む」という習慣に着目し、特殊加工で新聞上部に赤いカーネーションを飛び出させることで、新聞を美しい花束に。それを山手線全駅のキオスクに陳列し、通勤風景に即席の花屋を登場させた。出稿は母の日の2日前に行い、クライアントである花キューピットの販売促進およびブランド力の向上を狙った。
*レイ・カーツワイル
(Raymond Kurzweil)
アメリカの発明家、起業家、フューチャリスト。フラットベッド・スキャナ、シンセサイザー、音声読み上げマシンなどを生み出す。
*シンギュラリティ
シンギュラリティ(技術的特異点)とは、人類全体の知能の10億倍の能力を持った人工知能が登場し、人間が生物学から解放され未知の領域に入る時点。
*『攻殻機動隊』
士郎正宗によるサイバーパンクSF漫画作品。初出は『ヤングマガジン海賊版』(1989年)。
森山大道 記録 告知ポスター
「森山大道「記録」on the road col-laboration with 8creators」展
  告知ポスター
2009
AD・D 軍司匡寛 P 森山大道
CL epSITE
Blume 花屋の店内ポスター
Blume
花屋の店内ポスター 2009
AD・D・I 大黒大悟
CL Blume
BLOCK TYPEFACE
「THE SEARCH – Beauty for Paper」展 2009
AD・D 大黒大悟
CL 竹尾
  • 前へ
  • 1
  • 2
  • 次へ
デザインのポリローグ 日本デザインセンターの50年(誠文堂新光社)

この記事は弊社の創立50年を記念して発売された書籍「デザインのポリローグ日本デザインセンターの50年」からの再録です。

Amazonで購入する