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粟野僕は64年入社ですから、中嶌さんが入社される20年前ですね。その前は、某広告代理店で、クライアントをたくさん持たされて、すごい仕事量でした。当時のNDCは梶祐輔さんと蟻田善造さんがトップでいらして、NDCに知り合いがいたので紹介してもらって蟻田さんのところに行ったら、「すぐ来い」ということで。学生時代は広告研究会にいてね、広告には興味があったんですよ。
川原私は成り行きなんですよね。デザイナーの友人に、何をやったらいいか分からないなと言っていたら、コピーライターの仕事に向いているのではないかと言われて。ちょっとしたことで人を喜ばせることは大好きだったので、宣伝会議の養成講座にちょっと通ってみて、そこから始めました。やっていったら、そのおもしろさに気づいたという感じですね。わりとデザイナーの方って、高校生の時からデザイナーになりたいっていう方が多い気がするんですが、コピーライターってそういうタイプの方って珍しくないですか?
中嶌私はコピーライターになろうと思ったことはないんです。広告は好きだったので私も大学の広告研究会には入っていて、できれば広告に携わる仕事をしたい、宣伝の現場に行きたいと思っていたけれど、男女雇用機会均等法以前の就職難の時代でとても難しかった。募集が少なく、男女関係なく採ってくれるのがプロダクションしかなかったというのと、職種はCMディレクターかコピーライターしかなくて、やむなし(笑)。だからとりあえずコピーライターかなという感じでNDCを受けましたね。最初の1年は悩みましたけど、やっているうちに向いているかも、と。わりと賞とかすぐに獲れたんですけど(笑)。
磯目僕はもともと言葉そのものが好きでした。学生の頃から文章や詩を書いたり、音楽の作詞をしたりしていたので、言葉を使って仕事をしていけたらいいなと考えていて。
ただ、広告にはまったく興味がなくて、軟派な表現だと思っていました。そもそもほとんど見ていなかったので知らなかったんです。ある時、大学の図書館で糸井重里*さんや仲畑貴志*さん、一倉宏*さんといった方々が書かれたコピーを見る機会があって、その熱量のある、人の心に寄り添った言葉の表現に惹きつけられました。こういうことも広告で表現できるんだなと思ったんです。
中嶌私の時代はすごいコピーブームでしたよ。糸井さんがコピーライターという職業があるということを世間に知らしめていた頃で、宣伝会議の表紙に文章書いていたりしていて、コピーライター募集の倍率が上がった頃でした。
コピーライターの魅力は裸で商売しているところ。一糸まとわずという感じがあって、それが辛さでもあるのだけれど、魅力でもある。キャッチフレーズを初めて原稿用紙に書いて人に見せるってすごく恥ずかしい行為ですよね。なぜかというと、それはとっても具体的でとってもシンプル、飾れないからだと思うんです。逆に認められた時の喜びはすごく大きい。
粟野恥ずかしいよね。恥ずかしいのを隠すために僕はチャートを1枚書く(笑)。
磯目今でも恥ずかしいですか。
中嶌やっと慣れてきました(笑)。今、結婚系の仕事をやっていて、幸せ丸出しの恥ずかしいものを出してくれというオーダーなんですよ。みんな真っ赤になりながら打合せしていて、それはそれでおもしろい。恥ずかしくないものは出すのをやめようと言っています。
磯目「人に文章を見せるのは、人前でパンツを脱いで見せるようなものだ」というフレーズがありますが、本当にその通りですよね。コピーの仕事をする前からその恥ずかしさは体験していましたが、いまだに消えませんから。ただ僕は、恥ずかしいコピーこそいいコピーだと信じているので、見せる時に恥ずかしいと思えないコピーは出したくないと思っています。
粟野いいねえ。そこを突き詰めていったらきっとおもしろいよ。
中嶌NDCはグラフィック、印刷媒体にずっとこだわり続けているところが特徴ですね。私は媒体の中では新聞広告の15段がとても好きで、それがやりたくて頑張っていましたね。
コピーというか、広告は時代にすごく左右される。バブルの時代って、広告にとって幸せ、NDCにとっても幸せな時代だったと思います。本当に生き生きとしていました。バブルが崩壊した途端、15段の仕事がなくなりました。それが、私がNDCを卒業しようと思った正直なきっかけなんです。もっと活躍の場が欲しかった。もっと書きたくて。
粟野僕が最初に担当したのは東芝の広告で、蟻田さんディレクションのチームだった。そのスパルタ指導は半端ではなく、当時の同僚はみんなあれがあったからコピーで飯が食えるようになったと言います。足を向けて寝られない、なんてね。そこの仕事で僕もTCC新人賞や朝日広告賞などいくつかの賞をいただけるようになり、自信もついてきました。「そろそろもう、ひとりでやれよ」と言われた時に、「コンペで自分の仕事を開発しなくちゃ」と思ってまずセイコーをトライしたら最初のプレゼン「時の記念日の企業広告」が成功し、それがもとで30年も担当することになりました。よく30年間も続いたなあ。数年後にワコールの企業広告コンペも、ボディペインティングの案が採用されて、その後20年も続いた。本当にクライアントにも恵まれ、才能あふれるパートナーにも恵まれて、幸せなコピー生活を送ることができました。これもひとえにNDCのおかげということで、いまだに感謝しています。
中嶌私がNDCにいた頃に担当していたのは伊勢丹です。当時は毎日1本15段を入稿していました。バブルだというのがよく分かるでしょう(笑)。伊勢丹はやることが何でも先取りで、「北半球…南半球」は初めて伊勢丹でやった裏表を活かした企画モノ30段です。
代理店に移って16年くらい経ちますが、いまやもうほとんど印刷媒体のみはやっていないですね。キャンペーン主体なので、テレビCMが90%。それに付随したポスターなどの印刷物はありますが、仕事の内容が違ってきました。NDC時代は毎日コピーばっかり書いていて本当に幸せな時代でした。特にバブル期は広告業界も華やかでいろいろなチャンスに恵まれていたので、かなり勉強になりました。明日が掲載だというのにまだ企画が決まっていないというようなこともあったし。
今の仕事はクリエイティブディレクターなので、トータルで何でも屋って感じですね。戦略から考えますし、コピーも考えますし、コンテもウェブもやります。カタログは滅多にやりませんが。NDC時代はカタログも小さいコピーも全部書いていましたよ。
粟野コピーライターも、CDになると戦略から考えるのは当然ですよね。僕の場合はまずマーケティングコンセプトを考えるんです。で、そのフレーズがそのまま広告コピーになればベスト。例えば「なぜ、時計も着替えないの。*」はまさにマーケティングコンセプトで、広告のキャッチフレーズになるだけでなく、全国のセールスマンの売り方のバイブルになる。さらに着替え用の時計という商品開発のコンセプトにもなる。販売部の企画のテーマにもなる。販売店の店員さんにとってもこれがセールストークになる。つまりマーケティングセクション全体が、これまでとは違った方向で、迷いなく一丸となって突き進むためのワードになるんです。だから誰にでも分かりやすい言葉で仕立てられているわけです。分厚い企画書によるコンセプトでは、なかなか理解されにくく浸透しにくいものね。この企画のスタートが大成功したおかげで、なんと10年にわたるロングキャンペーンになってしまったよ。ワコールも同じような作法でコピーを考えていたんです。
中嶌「アップルヒップ」とか。
粟野そう。あの年はちょうどファッショントレンドが大きく変わる年でね。その変化を捉えたコンセプトワークだった。その理屈を単純化したのが「アップルヒップ」。お客様には商品ではなく、プリッとしたアップルヒップを買っていただいたわけ。そうしたら工場が1日3交代24時間操業をやっても生産が間に合わないという大ヒットになってしまった。それから、セイコーの「時計を着替える」とほぼ同じコンセプトをワコールにも売っています。「土日・月金・花金ブラ」というネーミングで着替えさせるという提案です。ラッキーなことにTCCの賞をいただいたりなんかしてね。
中嶌ちなみに、「よせてあげる*」というキャンペーンは、第一企画に移ってから担当しました(笑)。あれはクライアントが使っていた機能コピーなんですけど、それをキャッチフレーズとして使ったんですよね。このキャンペーンも何年も続きましたね。
粟野コピーの書き方は昔と今では全く変わってきていると思います。60年代はコピーライターのちょっとした洒落っ気とかユーモアとかのセンスを見せることが通じる時代だった。ところが、世の中だんだん厳しくなってきて、なかなかそれでは通じなくなってきたんですね。70年代後半から80年代でしょうか、コンセプトワークが求められるようになったのは。この頃から、提案するコピーがいかにクライアントのマーケティングや営業成績に寄与するかを説得しなければならなくなった。
そのために、僕はたまたまファッション的な広告が多かったので、ファッショントレンドを徹底的に勉強したんです。フランスの「プルミエールヴィジョン」とか、イタリアの「イデア・コモ」とか、ドイツの「インターストッフ」とかね。これは海外のファッションショーの半年ほど前に行われる繊維・服地の見本市なんだけど、そこに世界中のバイヤーやデザイナーが集まって、前年のトレンドを否定する、次の年のトレンド情報がぶつかり合うわけ。そこから発信されてくる情報をまず収集して、それをもとに僕はコンセプトを構築した。当然のことながら、広告の成功率が高いわけですよ。当時そういうことをやっていたコピーライターは誰もいなかったと思う。そのおかげで、クライアントとの信頼関係が何十年も続いたんだと思います。
中嶌今や10~15年前と比べて人が1日に接する情報量が400倍と言われています。ですので、キャッチフレーズでまどろっこしいことを言っていると本当に言いたいことが伝わらない。80~90年代は、想像力を膨らませてくれるような、私の好きなタイプのキャッチフレーズが世の中の主役に成り得るゆとりがあったんですよね。最近はキャッチもいらないくらい、その商品の良さがいかに端的に記号化されて伝わるかということになって、変わってきているのではないかと思います。
媒体も徐々に変わってきていて、新聞を読む人も少なくなっているとは感じていますが、一方でネット社会と言われていても、ネットはわざわざ見にいかなきゃならない。結構まどろっこしい部分もあったりするんですね。
私達クリエイティブの仕事はメディアをどうするかということから始めます。例えば、どのOOH*を使うか。うちの会社では「360度コミュニケーション」とネーミングしていて、どんなものでも媒体になると考えています。そうなると、媒体ごとに伝えることも伝え方も変わってくるという感覚になります。ひとつのキャンペーンをつくりあげる発想自体が、シンプルなマス広告とは違ってきています。
粟野大変な時代になったよね。80~90年頃からだと思うけど、広告業界の構造が徐々に変わってきて、広告代理店とプロダクションの役割が分かれてきた。それはどこの宣伝部も仕事量が膨らみ、さらに部員のスリム化が始まって人手が足りなくなり、総合代理店にまとめて発注する、いわばゼネコン方式みたいなものだよね。こうした流れからNDCの仕事はカタログの比重が圧倒的に増えてきた。NDCのコピーライターはカタログを通じて、より消費者と近いところで対話するようなコピーを書くようになった。あるいは商品を徹底的に分析して消費者の購買意欲を起こさせるノウハウを獲得していった。それが今日のNDCにつながっているんじゃないかなと思うんだけど。時代はさらに大きく変わってきているわけだし、NDCのコピーライターは次の時代のコピーやコンセプトを開発して、クライアントをあっと言わせるノウハウを開発してサバイバルゲームに勝って欲しいな。
川原今私がやっているのは、まずデザインがあって、そこにコピーのスペースがあって入れていくというようなつくり方ですから、部品づくりに近いかもしれないですね。その中でいかに言葉を磨いて書くかということを考えながらつくっています。時代の流れ的にも自分の立場的にも、新しいステージに行かなければということをすごく感じています。もっと自分で踏み込んでいきたいなと思います。
粟野そうして欲しいな。ADとコピーライターは対等の関係でないといい広告はつくれないよ。むしろ僕はコピーが中心になって、マーケティングの視点を持ってリードしていくほうがいい結果をもたらすと思うけどね。
中嶌広い意味での広告業界では、コピーライター出身がCDになっているほうが多いんですよ。なぜなら、広告の骨組みをつくっているのはコピーなので。私は、NDCに入社した時から今日までコピーが主役だということを譲ったことがほぼないですね。
私は、伊勢丹の仕事でコピーワークの練習をさせてもらったと思っていますし、ダイハツで学んだのは、キャンペーンのワードを絞り込んでいって、粟野さんのおっしゃった「マーケティングワード」というか、ひとつのワードが全ての役目を集約していくこと。それは結構辛い仕事なんですね。半年くらいかけてひとつのワードに集約していき、それが店頭からマスまで全部に広がっていく。その考え方は今でも役に立っていますね。
粟野1行のコピーはウェブ媒体でも電波媒体でもあらゆる媒体の広告の主役にもなりうるし、イベントや展示会の店頭など、販売の全ての場面でも主役になる力を持っているんだよね。カタログのコピーもマーケティング的なポテンシャルを持っていれば、あらゆる場面での主役になりうると思うな。
磯目僕も、コピーが主役になってデザインを引っ張っていくような仕事をもっとNDCで増やせたらいいなと思っています。先ほどの「メディアを選ぶところから広告が始まる」というお話ですが、最近はどうも表現がメディアに負けているのではないかと感じています。器の新しさばかりが目立って中身には新鮮さがないというか。実際、暮らしの中で広告に接する回数は増えたかもしれませんが、コピーライターとしても一生活者としても、広告表現に心を動かされる回数は減っているように感じる。というのも、朝日広告賞の作品で写真を撮らせてもらった若者たちと話していると、彼らは広告とは全然関係のないところで生きているように見えたんですね。そんなものなくても充分に楽しいよ、と。この人達に届く表現ってなんだろうって最近、よく考えるんです。
ツイッターのような新しいツールが次々と登場して、メディア主体の時代は今後も続くと思いますが、どんな場所でも、今生きている人達に本当に必要とされる表現を提案したい。その先頭に、コピーライターは立てるのではないでしょうか。言葉は場所を選びませんから。もちろんコピーライターだけではなく、デザイナー、プロデューサーも含めて各々が個性を出し合って、どんなに小さな仕事でも力強い表現を打ち出していくことができれば、NDCは他の会社とはまた違った角度から社会の中で力を発揮できるはずです。そのための人材が今、若い世代の先輩方からどんどん出てきていて、僕らも負けられないねと同年代の仲間とよく話しているんです。
川原今の時代、人を振り向かせることは、ただ「真実であること」だと思うんです。そこに確かにあるのだけれど気づかなかった真実……そういうことでしかもう人は振り向かない。
磯目先日お亡くなりになられた梶祐輔さんに、こんなメッセージをいただいたことがあります。「君達のライバルはもはや広告界の中にはいない。こういう時代になったら、映画や、小説や、音楽といった別ジャンルの表現を凌駕する広告をつくらないと、もう誰も見てくれないよ」。ラディカルな言葉ですが、とてもまっとうな言葉でもあって深く心に残っています。本気で考えていかなければならないことだと思います。
2009年10月20日






