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関本小栗さんは、1960年に初代の図書室(現・情報資料室)に司書として入られてから91年までの長きにわたってNDCを資料室という場からご覧になってこられました。80年からは中村槇子さんが加わられ、小栗さんの後を中村さんが引き継がれ、私は中村さんがお辞めになった後、2007年から務めています。本好きの観点からみると、素晴らしく貴重な本の数々が揃っています。設立当初の資料室は、どんな構想のもとに生まれたのでしょうか。
小栗NDCが設立された60年、私は慶應義塾大学図書館情報学科の資料室におりました。2月の終わりのある日突然、知らないおじさんが来て(笑)、「伊勢丹の婦人こども服の山中
一応、家族にも相談してから決めようと思いまして、当時、トヨタの中央研究所の所長をしていた親戚の小父に尋ねました。その頃のトヨタは、「トヨタ自販」と「トヨタ自工」に分かれていたんです。小父曰く「あの商売の神様と言われている自販の社長の神谷正太郎さんが、その会社設立に金を出してもいいと言われたんだから、2~3年はもつだろう。婿でも探せよ」と言うんです(笑)。また、当時サッポロビールの社長をしていらしたのが、私の父の親友で私の保証人だった松山茂助さんでした。戦時中、ビール会社3社は合併して「大日本麦酒」という会社だったので、ひょっとしたら彼も、とうかがったところよくご存じで、「山本(為三郎)くんが会長をかって出たんだから、4~5年もつだろう」と言われたんです。それが創立50周年になるとはね(笑)。結局、私はぎりぎりに決心して入社することにしたんです。
慶應に訪ねていらした方は山本
関本当時の社員のみなさんはかっこいい方ばっかりだったようですね。
小栗みんなおしゃれでしたね。オーソドックスなイングリッシュスタイルで。小林渙治専務は、絵に描いたような一番ダンディな方で、みんなエレベーターで一緒になると、彼の頭から足先まで真似しようと必死になって見つめていましたね。
関本私は資料室に憧れていたんです。「こんなにたくさんの資料がある!」と驚きましたし、とても魅力的でした。仕事に関係なくてもよく行っていました。現場の動きも想像できるので、プロデューサーをさせてもらった後に転部できてよかったと思っています。資料だけ見ても、学校図書とは違いますよね。実用的ですし。
小栗私が働いていた大学の図書館とは全然違いました。業界のニュースがどんどん入ってきますし。企業の変化も分かってきますね。マル秘の仕事をやってますでしょう。半年以上前からマル秘のことを知っているわけですよ(笑)。
関本当時は書籍をどうやって選んでいたのですか。
小栗私はデザイン関係のことが分かりませんから、原先生が東光堂というデザイン関係をメインにしている書店から全ての本を買っていました。東光堂の川合さんという小母さんが、鞄に本を詰めて、毎日日本橋のお店からセンターまで地下鉄で来て運んでくれていたんです。
関本原先生が図書室が必要だとお考えになって、原先生自ら選書をされていましたね。原先生が辞められた後30年は永井先生、2000年から現在は、原研哉さんが選書されていますが、原先生、永井先生と選書される方々によって違いがあっておもしろいですよね。本の年代を見なくても本の内容で、選ばれている感じで「これは原先生かな?」とか思いますね。一緒にお選びになったんですか?
小栗お選びになったのはもちろん原先生ですが、それを一緒に見ていましたからとても勉強になりました。私は新しい本を原先生とご一緒に見た後、また自分で見直すんです。誰かが来た時に紹介できますから。新しいデザイナーが入ってくるでしょう。そうするとチーフ達が、こういうものをつくるからあの資料集めて来い、と新人に言うでしょ? でも新人だから何を集めていいのか分からないんですよね。それでチーフは誰かと聞くと、Aさんだと。「ああ、Aさんなら、資料の中で、これはいいとピックアップする人だから、それに関わりのあるものを持っていったらいいわよ」とか「Bさんはこうよ」と教えるんですね。
後で新人に聞くと、チーフによくここまで気がついたね、と言われたというんです(笑)。小栗さんのおかげだとは言わない。でも嬉しかったですね。後任の中村槇子さんが、「小栗さんが探してあげてたから、みんな自分で資料を探さないで、探してくれと言うようになっちゃった」って(笑)。
関本小栗さんはレファレンスそのものだったんですね。
小栗何でもやっていましたからね。
関本私は今、国内外の主要なデザイン賞に応募する社員のサポートもさせていただいていますが、小栗さんは広報的なこともやっていらっしゃいましたね。特に日本のデザインを世界に告知する窓口の役割をされていた。
小栗原先生は本当に教育者でしたね。いまや世界的に有名な永井さんも横尾さんも、原先生の教育熱心なところで世界に出られたのかなと思います。1966年に第1回ワルシャワ・ビエンナーレが開催されるとき、原先生はドイツ語がお出来になるので、その情報をいち早く知っていらしたんでしょうね。私を呼んで、「日本の若いデザイナー達を世界の檜舞台に立たせてやりたいから、お前も手伝え。名前をリストアップするから、一軒一軒訪ねて行け」とおっしゃられたんです。それで私がひとりひとり訪ねて。50名くらいだったかな? 資生堂に行って、「仲條正義は辞めました」と言われると、住所を調べてうらぶれたボロアパートにいらした仲條さんをお訪ねしたこともありました。地方の方にはお手紙を書いて。日本語で書いていただければ翻訳します、といって履歴書から全て翻訳したんです。一番困ったのはコピーの翻訳でした。そのものずばりの海外のコピーに比べ、抽象的な表現の多い日本のコピーをそのまま訳したのでは海外の審査員には伝わらないでしょう。彼らにも理解され、当のコピーライターにも納得してもらえるように訳すのは大変でした。
関本日本を代表して集めろと言われたようなものですね。
小栗とにかく原先生はみんなを世界に出させてやりたい、というお気持ちが強かった。本当に教育者だったと思います。毎年、オーストラリアの学生も来てましてね。デザインセンターの作品を見せるんです。個人制作作品だと飽きてしまうんですが、センターのその年のNDC賞受賞作品を見せると、身を乗り出してくるんです。広告というものが、社会と密接な作品だったからだと思いますね。
関本当時、値段の高い外国の本を個人では買えないですよね。コピー機のない時代ですから、今でこそ伝説になっているような雑誌や書籍を、昔は破ってでも自分のものにしたとかいう話も聞いたことがあります。
小栗私はそういったことはさせないようにしていましたけれどね。中には百科事典の世界の国旗のページをどうしても欲しくて破った方もいましたが、原先生に怒られてね。謝りのお手紙をいただいたこともありました。
関本雑誌も原先生が選んでいらしたんですか?
小栗そうです。レイアウトがおもしろいものをお選びになっていましたね。『U&lc』なんか、編集の仕方、文字がおもしろいものなんかありますでしょ。『LIFE』誌のバックナンバーを全部保管してあったんですけどねえ。図書室の改築の時に、業者が間違えて全部破棄してしまったんです。原先生にられましてね。でもその後、『LIFE』を集めていたOBが寄贈してくれたんです。今はあるのかしら?
昔は、海外の雑誌がかっこよかったんです。『The New Yorker』とか『Sports Illus-trated』、『FORTUNE』とかはアメリカでもトップの雑誌でしてね。デザイナー、カメラマン、イラストレーターも一流、表紙も一流と言われていました。日本の雑誌はどこででも見られるので、なかなか個人で買えない外国の雑誌を、当時の資料室では大切にしていましたね。これは何かの参考になるなあ、と思ってデザイナーに探して見せてあげるのはしょっちゅうでした。梶さんが新年度の証券会社のプレゼンに役立ちそうな何かと言われた時は、80年代の後半、アメリカも不景気のさなかで良い例となる広告は皆無。致し方なく、その証券会社の社長が新年の抱負として何を話されたか、そこの研究所にいる後輩に電話して、社長が例に挙げられた海外の企業名を聞き出し、経団連の図書館にいる友人に海外の企業年鑑からそれらの企業内容のコピーを送ってもらい、梶さんにはアメリカ企業の現状をお話しして良い広告が一片もないこと、とりあえず社長が取りあげられたその企業内容に目をお通しになってからお出かけくださいとお話ししたところ、それを実行されて、その証券会社の社長がそこまでよく知っていてくれた、と喜ばれたとか。「おかげで面目を施したよ」と喜んでくださったのは嬉しかったですよね。私は裏方だけれども、そう言われることがすごく嬉しかったですね。
関本原先生と永井先生との選書の違いはありますか?
小栗原先生は言葉とビジュアルの両方から見ていらっしゃいましたね。以前、図書室にはニューブック・シェルフがあって、原先生がお選びになった新刊書を展示していました。永井さんは視覚的なものが大きいかと思いますね。
関本初期に集められた絵本がすごくいいですよね。「ブルーノ・ムナーリ」の展覧会の時に、資料室にあるものが展示物として出ていました。教育的なものから絵本まで見られていたのがすごいな、と思いますね。裏の借り出し履歴の札を見ると、昔から連綿と誰が借りたのかが分かりますよね。私はNDCに入る前、青山ブックセンターでビジュアル書の担当をしていましたが、50年前にデザイナーが選んでいたというのは、驚きでしたし、すごいなと思いますね。
小栗そうですね、原先生はすごいですよ。
関本原先生は、本をつくるために紙もつくられていましたよね。デザイン会社としてこれだけのデザインに特化した資料としての書籍があるというのは他にはないと思うんですが、私が疑問なのは、全部ブック・ジャケットが無いですよね。本が好きな人やデザイナーにとってブック・ジャケットはすごく重要だったり、頑張って考えていただろうにと思って……。
小栗実はね、それはアメリカの図書館のやり方を戦後取り入れたからです。
関本デザイナーから文句が出たことはなかったんですか?
小栗それはなかったですね。そのかわり捨てられないので全部取って、別に保管してありました。
関本そうだったんですね。私は内容だけでなく色・デザイン・手触りで覚えるので、ブック・ジャケットが欲しいなと思ってしまうんですけど(笑)。
今は契約している書店に私が見に行って、粗選びしたものを原研哉さんに見てもらって最終的に決めます。選書は月に1回やっています。原さんの選書と、他に足りない本はその都度、各部署で必要なものを選んでもらって、後々資料として使ってもらっています。
ただ、お互いの部署など、情報が小栗さんがいた頃のように常に交換できているわけではないので、なんとなく風の噂なりで聞いています。新聞の記事などは社内イントラネットの「Topics」にアップして、少しでもみなさんの情報の参考になればなと思っています。ネットなどのニュースにはとうてい追いつかないので、会社で必要なクライアントのこと、デザインのこと、広告のことなど、ジャンルを絞っていますね。永井先生や原さんの記事、広告、マークなどNDCの仕事に関わる事柄はなるべく早く載せますし、NDCの方々が掲載されている雑誌のページも載せています。
小栗最初は「トピックス」というタイトルで、新聞からピックアップした記事をレイアウトしたものを各チームに渡していたんです。それをひとりで毎週やっていましたね。
関本それはとても大変ですよね。小栗さんが始められて、中村さんに引き継がれたものを、今はかたちを変えてですが、続けています。新聞は専門紙を含めて8紙です。週に1回アップしているので、どんどん内容は変わっていきますね。さすがに毎日更新は無理なので(笑)、今のペースで続けていけたらいいですね。
小栗今、図書室の棚を拝見すると、日本の雑誌がほとんどですね。
関本半分は海外の雑誌です。今は海外雑誌だからと参考にするのではなさそうです。日本でも海外でも、悲しいかな、どんどん雑誌が廃刊されていますよね。なので、資料が雑誌や紙だけでなく、できれば私がいなくてもみんながデスクトップから欲しい資料がすぐ探せるような資料室になるように整理をしていきたいなと思いますね。
小栗図書室はそうあるべきだと思います。人が困っている時に手伝いたくなりますよね(笑)。昔は図書室がたまり場だったんです。写真部やデザイナーは時間のある時には図書室に来ていましたよ。そうすると情報交換ができますよね。お互いの話を聞くと、自分の勉強になりますしね。辞められた方もよく来られてましたよ。ここまで資料が揃っているところはないですからね。
関本小栗さんの頃のオアシスのような、情報交換の場になっていたというのはとても理想です。今はネットである程度検索はできると思うんです。でも資料室に来る人は、何かそれとは違う資料をすぐ欲しい、という人が多いですね。自分で探すやり方(癖)がある人はいいですけれども、新人には私も声をかけたりしますね。レファレンスで感謝されるというのは嬉しいですね。
小栗そうですよ、新人の方たちは声をかけられると、ほっとするんじゃないですか。いまだに私を個展に呼んでくださる方も多いですよ。みなさんのお手伝いして良かったな、と思うんですよね。ライブラリー、私達の仕事はサービスだと思いますからね。
関本そうですね。今も、創立した頃からの本はだいたいあります。NDCの資料室がすごいのは、貴重な本や雑誌が全部開架で、実際の本を見ながら探せることですよね。美術館でしか見られないような50年前の本がすぐに見られる。去年から、古い書籍を製本・修復し始めました。今後は『Push Pin Graphic』『U&lc』などの古い雑誌のバックナンバーも見られるように整理していって、皆さんのアイデアソースになればいいなと思っています。
先頃、『デザインを知るための名著』という本が出版されたのですが、その中にあるグラフィックの本はだいたい資料室に揃っています。タイポグラフィの本は、この50年間のものをほぼ網羅しているのではないでしょうか。初期の本はまるで原先生の頭の中みたいなものだと思います。永井先生の選書、原研哉さんの選書、それだけでもすごくお宝な本で、日本のデザインを代表するような図書なんだと思うと、すごく財産だと思います。今はインターネットがありますから、いつも資料室に探しに来るといった感じではなくなってしまいました。資料室のあり方や使い方も変化していったのかなと思います。でも、今も資料室がサービスできているのは、小栗さんの草創の活動と、中村さんが何十年にもわたってきちんと整理していただいていたお陰だと思います。これからの資料室の課題は、新たな時代のデザインにふさわしい、情報提供のやり方を探していくことだろうと思っています。
2009年9月3日









