10 SELECTED
BOOKS

Vol.02
永井 一正 クリエイター必見の心動かされる10Books

Vol.02 永井 一正 クリエイター必見の心動かされる10Books

1960年の日本デザインセンター創業時から社員に親しまれ続けている資料室。
その約2万冊の収蔵本の中から選んだ10冊をお勧めする
「ライブラリーのおすすめ本をシェアするプロジェクト」
第2回目は、永井 一正(最高顧問 デザイナー)が選んだ10冊です。

1
石岡瑛子
『石岡瑛子/Eiko Ishioka』

資生堂時代、パルコや角川書店時代の大胆で優れた創作もさることながら、すべてのキャリアをうち捨てるように渡米した、アメリカでの「ドラキュラ」の衣装デザイン、その強烈な印象。中でもビョークの「コクーン」のデザインに僕は強く惹かれる。それは、今よく見る抹消神経に走っていくデザインではなく、情念のデザイン。表面的になった現代、それは失われつつある。

2
Jelena Hahl-Koch, Wassily Kandinsky
“Kandinsky”

「西欧的な論理思考と対極をなす東洋的な神秘性。その二つがカンディンスキーの中で相克しているように思える。論理で律しきれない不思議な生命体のうごめきが、見る人の、未分化の生命に触れようとする。僕はカンディンスキーに衝撃を抱き続けています。

3
A.M. Cassandre
“A.M. Cassandre”

日本では画家がポスターを片手間に作っていた時代に、カッサンドルはタイポグラフィからすべてやっていた。近代ポスターを構成的に制作した最初の人です。北極星号のポスターは遠近感のある構成で有名。イブ・サンローランのロゴは今も使われています。
亀倉先生は学生時代この人を見てデザイナーになりたいと思ったそうです

4
横尾忠則
『横尾忠則グラフィック大全』

バウハウスの影響を受けた中で田中一光さんは正統派であり、横尾さんはそこに通俗性を持ち込んだ。現代デザイナーが最も避けて通りたい情念が生のまま突起したデザインは、当時のポップアートやサイケデリックと呼応し、彼は時代の寵児になった。
ところで、椿姫のポスターは、NDCに入社してすぐに右手を怪我した時に書いたもの。
一光さんに言われて、口や左手で何枚も書いていた姿を思い出します。

5
Arthur A. Cohen
“Herbert Bayer : the complete work”

ドイツからはこの人を選ばないわけにはいきません。
バウハウスで学んだがナチに解体されてしまい、アメリカに亡命しました。活動期間は短いが影響力はすごかった。アメリカでグラフィックデザインを広めたのは彼です。ハーバートバイヤーがアスペンに移住して開かれた1965年の世界デザイン会議に僕も行ったことが思い出されます。

6
福田繁雄
『Shigeo Fukuda : masterworks』

福田の代表作の一つ、大砲から発射したはずの砲弾が戻ってくるポスターは、反戦のイメージを最もシンプルに深くとらえながらユーモアに支えられていて、これほど戦争の愚かしさを簡潔に視覚言語として訴えたポスターは、世界にこの一点しかないと思う。
福田の作品は、仕掛けはわかりやすいのに感心してしまう。しかし少しでも近寄れば福田の模倣になってしまう。彼が世界的なデザイナーになったのは当然だと言えます。

7
Steven Heller
“Paul Rand”

生粋のアメリカのデザインといえばこの人。明るくて、きれいで現代デザインの明るいあけぼのといった存在です。ヨーロッパでいえばサビニャックがその存在にあたるでしょう。
経営思想にデザインを取り込んだ最初といえばオリベッティですが、CIの最初といえばIBM。彼のIBMのロゴを知らない人はいないと思います。

8
Max Ernst
“Max Ernst”

今、デザインはどんどん明るくなって、闇や命のうごめきが失われていると思う。
しかし、闇がなければ光は輝かない。エルンストやキリコといったファインアートの精神性から学ぶ人は少ない気がするが、それはとても大切だと思う。

9
田中一光
『田中一光 伝統と今日のデザイン』

奈良に生まれ育ち、京都で学んだ一光さんは寺院・神社の建築、仏画、漆器・陶器、芸能など層の厚い伝統美を自然に身に付けていた。1950年代、田中一光、片山利弘、木村恒久、そして僕たち4人は集まっては互いの作品を批評し、デザインを語り、僕の4畳半のアパートにごろ寝した。そして50年。日本の伝統を継承しながら、それを解体し現代の日本美を創造していく彼の中核は、決してぶれることはなかった。

10
亀倉雄策
『亀倉雄策のデザイン』

亀倉先生はコンペ好きでまさに闘争心の固まりだった。東京オリンピックのマークは、締め切りの当日に作ったもので、土壇場に立たされたことで内面が表出したのだと思う。
太陽である日の丸と、五輪と、TOKYO1964という目新しくはない要素で作られているにもかかわらず、目を洗わんばかりに新鮮だ。
本質を見抜くデザインは小手先から生まれるのではなく、その作家の思想から生まれることを教えてくれる。