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原本日はお越しいただいて、ありがとうございます。NDCに高橋睦郎という詩人が立ち寄られた時代があったということですね。今日は僕たちがこれから資源にしていかなければならない日本の美意識とか感受性についてお話しいただければと思います。
高橋どういういきさつでNDCに入ったか、ということから始めましょうか。
僕はもともと中学を卒業して働こうと思っていて、受験をしたら全部落ちた。高校を卒業したときも全部落ちた。後から聞くと、君の成績は悪くなかったよと言うんですね。その頃、母子家庭は一流企業ではとらないという不文律があった。だからもともと通らない運命だった。中学の頃から自分で働いて学校に行きましたから、大学もバイトと奨学金で行きましたが、卒業する間際に結核になってしまって、2年卒業が遅れたんです。僕が行っていた大学は、今は福岡教育大学というんですが、当時は結核に一度なると教師の口は絶望だったんです。
いろいろなところに働きかけたけど結局だめで、知っている人もいない状態で、ほぼ無賃乗車で東京に出てきたんです。知っている人の知っている人の家に転がり込んだ。「三行広告」を見ては受けてはいたんだけれど、後で考えたら住所不定の人を雇うわけがないですよ(笑)。
その頃、自分が属していた同人雑誌の会合にたまたま出たら、安西均*さんがいらしたんです。僕の田舎の先輩ですからね。怖い顔で「君は何のために東京に出てきたんだ」と言うわけですよ。僕が「田舎では就職できないものですから」と答えると、「早く帰ったほうがいいんじゃないか」と言われました。「帰っても生きていけません」と言うと、「じゃあ、たまに電話したまえ」とか言ってね。「したまえ」という言葉がまだ文語ではなかった時代ですね。それで手渡されたのがNDCの名刺でした。
電話をかけてみたところ「明日、会社に来てみますか」と言われました。企画進行室という部署でトラフィックですね。そこに行ったら「今日の午後から働きますか」と言われ、アルバイターで働いたんです。
その頃のNDCに入るということは、大変な狭き門だったんです。僕は、裏口入社なんです(笑)。それで1年間働いたら正社員にしてくれて、バイトの時は日本光学と富士製鐵だったんですけれども、正社員になってからアサヒビールの担当になりましてね。アサヒビールが本当に売れない頃です。ブレインストーミングをして、どうやったら売れるだろう、というのでね。どうやったらキリンに勝つことができるかと。キリン防臭剤という幽霊会社をつくってね、コマーシャルで「トイレットのことならキリン」というのを毎日流したら「キリン」と聞いたら臭くなる、とかね(笑)。
原悪いことを考えますね(笑)。
高橋サッポロはオムツカバーはどうか、って。赤ちゃんが風邪ひきそうなんですけど(笑)。そんなこと言ってるくらい売れない時代だったんです。
企画進行室でアカウントだから、ここは安くしましょう、ここはこれだけください、という仕事を経済オンチの僕がやっていたんだからおかしなもんですね。
1年間やったら、コピーにまわったんです。まず僕はコピーの才能はゼロでしたね。上司とも合わなかった。出口哲夫*さんが上司だったんですが、出口さんは東大で鈴木信太郎門下にいて、マラルメをやった人です。僕もマラルメは大好きなんですけれど、彼はマラルメを捨てて広告にきた人です。僕に対して非常に厳しかった。「君がどれだけ一生懸命やったとしても詩を書いている以上、広告に半分しか力を注いでないという計算になるよ」みたいなことを言われましてね。詩を辞めろみたいな感じだったので、これじゃ生きていけない。出口さんからすると、僕の生き方がもどかしかったのだと思いますけどね。
それで僕は結局NDCを辞めてサン・アドに行きました。その時に実は永井一正さんが「残ってくれ、僕とふたりで部屋を持ってもいいよ」とおっしゃってくださったんです。それは本当に嬉しかったですね。
原何年いらっしゃったんですか?
高橋4年ですか。そうは言っても、その頃のNDCは本当に学校の雰囲気なんですね。例えば作品ができるでしょ、トヨタでも東芝でも。できたって聞くと、そこの場に見に行ってみんなで批評するんですよ。好きなことを言い合うところがあったし。日宣美展があると、その時は仕事そっちのけでやって。バイトもみんなしていました。その頃はバイトのことを「三角(サンカク)」と言っていました。会社の仕事は「丸(マル)」。
原今でも「三角(サンカク)」って言いますけどね。僕らにもそういう文化はありました。若い人達には今でもやれ、と言いますよ。そういうことやらないと、世間が広がらない。
高橋展覧会がNDCの中でありました。展示即売会なんです。宇野さんの絵とか横尾ちゃんの絵とか高梨豊の写真とか、四角いパネルを並べてね。みんなで安い値段で買うことができたんです。それもとても楽しかったですね。だから学校のような感じでした。
原高橋さんがどうして広告がうまくいかなかったのか知りたいですね。
高橋そういうたちの人間じゃないんですね。「サッポロビールは最初のうまさが持続する」のコピーを書いた朝倉勇にね、「僕、結局コピー、ダメだったからね」と言ったら、全く否定せず、「君には詩があるじゃない」と言われました。今のように自由になって、広告の仕事を頼まれると、逆の発想でおもしろいものが出てくることはないではないですね。
原マラルメを捨ててこないと広告界に入れないとか、詩をやっているとエネルギーが半分しかない、という発想を持たれるほどに、詩と広告というのは価値観が違う世界というような感じでしたか。
高橋どうでしょうかね。これが、サン・アドに入ったら全くそうではなかったんです。
僕の詩集が出てね、その時の社長の山崎隆夫さん、サントリーの文化をつくった人ですが、ボーナス前の全社員集会で僕の詩集を掲げて見せたんです。でも山崎さんに渡した覚えはないんだ。怒られるのかと思ったら、「これは高橋君がつくった本です。こういう他の仕事をするのはとてもいいことなので、ぜひ君たちもやってほしい」と言ったんです。
なので、それだけの違いはあったのかもしれませんね。梶祐輔さんも厳しかったですよ、表には出さなかったけれどね。開高健と梶さんと西尾忠久さんは昔からの遊び仲間、悪童仲間でしたから、文学への志もおありになったんではないか、それを捨てて広告に行ったという思いはあったと思いますよ。口には出されなかったけど。蟻田善造さんも厳しかったですね。
原高橋さんのお話を聞いていると、僕らもNDCにいるけれど、本当に違う時代ですね。
高橋そうかもしれませんね。しかし、全てが開かれていた。
高校2年の国語の教科書の扉に「教養とは」という言葉があった。これは、僕が大好きな言葉で、今でも僕の生き方の指針にしています。「教養とは開かれた心のことである」。これですよ、開いていればいいんです。自分の窓を開いているでしょ、いろいろなものが入ってくる。自分に必要なものは残る、必要でないものは出ていきますからね。追わなくていいんです。また入ってきますからね。
それとよく似た言葉で、萬屋錦之介のお母さんの小川ひなさんが、「世の中は結局、これでございますよ」と親指と人差し指でお金のかたちをつくるんですが、親指と人差し指の間が開いているんです(笑)。開いていないと入ってこない、下向けると落ちる。お金だけじゃないと思うんですね。
僕は、NDCでもサン・アドでも人との出会いはありましたが、今も日々いろいろな人に出会っています。かつて自分が若かったから年上の人が多かったけど、今は自分よりもうんと若い人で、僕より専門的なことに詳しい人はいるわけだから、その人達にいろいろ教わっています。僕は、貧しい家で育ったわりには、人間にはとても恵まれていた。
原それは詩人の特質というか。僕は、詩人というのはいまだに恐ろしくて(笑)。詩人というのは最小限の表現で社会に存在を許されている人ではないでしょうか。つまり、みんな詩人を目指しているんじゃないかと思いますね。
高橋許されていないんですよ(笑)。
原僕は自分は本当にデザイナーなのだろうかと、自問自答してきました。デザインという概念は好きだったんですが、「デザイナー」になるとは正直思っていなかった。デザインというものを通して何かをやりたいと思ってきたのですが、ずっと自分は本当にデザイナーなのかと問いかけながら生きてきた。
つまり、詩人という存在がずっと気になっていたのです。言葉が好きでしたから、本当に表現したいのであれば、デザインなんかやらないで、言葉で何かを伝えたらいいのではないかとも思いました。しかし、それは本当に並大抵なことではないな、と。詩集を出す方はたくさんいらっしゃるのだけれど、詩人として社会に認知されているのはごく少数。それはすごく難しいことです。
高橋さんのお話を聞いていると、やはり生き方そのものが詩人なのかなと。そういう生き方が許されていくというようなことが詩なのかなと思いました。
高橋デザイナーなのかなとおっしゃられましたが、全く詩についてでも同じです。詩は何か分からないんですよ。詩とは何かが分からないから求め続けている。
詩人に定義を与えるならば、詩を書く人ではなくて、詩を求め続けている人。彼が本物かどうかは、外が評価するのであって、自分から名乗ることはまずないですね。僕の場合、税金の申告には著述業としますが、詩人とは書かない。文章なんかを雑誌の仕事とかで頼まれて、「肩書き何にしましょうか。詩人でしょうか、作家でしょうか」と聞かれると「前のほうにしておいてください」とは言うけど、僕は詩人ですとは言えないんですね。
「詩」という言葉は、ポエム、ポエトリー、ポエジー、さまざまに言いますが、ポエジーはギリシア語で、かなり後でつくられた言葉です。「ポイエオー」という動詞がありますが、これは「つくる」という意味なんですね。たまたま言葉でつくるものをポエムとかポエトリーと言っていますが、つくられるものは全部「詩」なんです。その中のたまたま言葉でつくっているものを「詩」と言っているだけのことです。
僕は、詩をふたつに分けて考えたほうがいいと思っています。それは、「ポエジー」と「ポエム」。「ポエジー」はどこかに必ず存在する真の実在としての詩である。そこからの何か波動のような常に伝わってきているものを受け取って感知する。それは具体的な事物を通してということが多い。例えば、ある人間を通してってこともある。恋心が起こったりだとか。とにかく何かを通して、1本の木でもいいんです。なんて美しいんだろう、とかそういうことを通してくる。それが衝動になって書いた作品が、「ポエム」。「ポエジー」は向こうから来るもので、それを捉えたものが「ポエム」なんですけれども、それは必ず捉え損なうんですね。
原捉えようとした痕跡のようなものですか。
高橋そうです。詩集は捉え損ないの集積なんですね。その中でも、比較的良い捉え損ないと、全然お話にならないものもありますけれど、捉え損ないであることは、間違いないです。捉え損なうから、倦きもせずくりかえしいつまでも書き続けている。
原よく分かります。僕はグラフィックデザインをやっていますが、ポスターや新聞広告を生産するというより、「こと」をつくっている。その「こと」に触ろうとした痕跡としてポスターが残っていくんじゃないかと思います。おっしゃる通り、何かやろうとして捉え損なったもののかたちが、ポスターということで残っていくのかもしれない。
武蔵野美術大学に向井周太郎*という先生がいらして、その先生の授業で、「太陽残像」という授業がありました。太陽を見てすぐに目を瞑って、そこに見える像を描けと。太陽を見て目を瞑ると、オレンジになったり緑になったり青になったりして、「ホスフェンス」と呼ばれる回帰像が見える。それを一生懸命観察して描くんですね。なんでこんなことやるのかなと思ったんですけれど。ある時、向井先生が「蝶の文様は太陽残像が蝶の身体の生成を通して外化したものではないか」と言われたんですね。僕はびっくりして、そんなこと誰も証明できないけど、すごくインスパイアされる発想だなと思ったんです。ポエジーを捉えている。
デザイン学というものがあるとすれば、それはひとつのポイエーシス(詩学)のようなものだと向井先生は言われたんですね。僕はそこに共感しました。それでいいんだ、人を触発する力があれば、実証やサイエンティフィックな裏付けがなくても、確実に人を動かすものがあればいい。デザインとはそういうことなんだというつかみ方ができたような気がしたんですね。
その時、僕は、詩人がつかもうとしているのと同じことをデザインでやろうとしているような感じがありました。だから一般的に言われているデザイナーという職業と、自分がやりたいことが、乖離しているような感覚があって。今でもそうですが、デザイナーと言われると、まだ違和感を感じるところもありますね。でも自分のことを詩人とは言えなくて。
高橋何かを求め続けているという人ということであればいいと思うんです。僕にも求め続けているという程度の自信ならあります。
原僕の場合は、文字をきれいに配列させてレイアウトをしたり、本の装丁をしたりロゴタイプをつくったりと、生産をする具体的な職能があるので、すれすれ社会とつながっているんですが、詩人の場合はそれがないのに、言葉を使うだけで、音楽家なり小説家なりが、高橋さんのことを構ってやまない。つまり言葉を介在する何かがそこに発生しているのでしょうね。
高橋それはどうか怪しいもんですけどね(笑)。
デザインということに関して言うならば、田中一光さんに本を送ると必ず返事をくださいましてね。ある時、あなたの詩にはいい意味でデザイン的なところがありますね、と言われたことがあった。僕は、NDCやサン・アドにいたことの無形の恩恵を受けているなと思いました。外界というものを自分に引きつける時に、ある整理をしています。それは一種のデザインですよ。僕がどれだけその訓練を受けているかは別として、そういうことを身につけたかなという気はしますね。それはとても大事なことだと思います。
高橋一光さんはとても不思議な人だと思うんですが、フィニッシュワークができなかったそうですね。フィニッシュの仕事をする人はスタッフにいたのでしょう。すごく混沌を持っていた人だと思うんです。今、一光さんのような人は生きにくい時代かもしれないですね。ああいう混沌を持っていた人がデザイナーとして生きてこられたのは、豊かな時代だったのでしょうね。彼の死に方もある時代の終わりをシンボライズしているかもしれない。
原フィニッシュができないというのは、自分の中に抱えている混沌の結末がつかないので、収拾がつけられないということでしょうか?
高橋収拾ということを覚えるのはなんでもないが、それを覚えたら自分がなくなると思っていたかもしれないですね。それが一光さんの大きさですね。
僕は自分の言葉、表現についての考え方は、東京に出てきた24歳の時に書いたものを読み返しても変わっていないなあと思うことが一つあるんです。それは昔から「個性」というものを全く信じていないということです。個性は百害あって一利ないものだというのが僕の基本的な考え方です。
リンゴと桃があるとします。それを絵に描くとするでしょ。その時に僕の個性は必要ではない。その時に必要なのは桃の個性であり、リンゴの個性である。それをできるだけ正確に表現して返す。桃に返し、リンゴに返す。その時に必要なのは、桃の個性であり、リンゴの個性で、そのことに役立たせるために自分の個性が役に立つかもしれない。でも、自分の個性の顕示が最終目的ではない。
もし、自分の側から言うならば、自分の個性を表現すればするほど、どんどん地獄にはまっていき、自分自身が救われないと思うんです。近代・現代の地獄は、みんなが自己主張ばっかりすることによって生じた地獄だと僕は思っている。
だから表現するのは何のためかって言うと、結局表現したくなるものを通して、自分の個性という地獄をそこで清めるため。それが表現であろう、と。それなのに、そこで自己表現を目的にしたら一体どうなるの、と思うわけです。これが僕の基本的な表現についての考え方です。
原一義的に西洋と東洋と言ってしまいますが、西洋的な創造は「人跡未踏」という言葉がありますけど、人が踏んだことがないところに自分の足を踏み出して、そこに足跡をつける。その足跡が永久に残ることが、功績であり名誉である、という捉え方をします。しかし東洋では前人が踏んだ足跡に、そのまま自分の足跡を重ねようとする。それは同じようには重ならないので、一致する部分と違う部分を、普遍と個別性の問題として捉えようとしますね。かつての人が良いと思ったことを自分なりに捉えてみる。でも捉えきらなくて別の捉え方がはみ出してしまう。そのはみ出しに新たな価値を見出そうとする。それを「本歌取り」とか「写し」といったりしますが、創造性の捉え方が根本的に違うように思うんです。僕達はものをつくる時に真似をしてはいけないとか個性を持たなければいけないと教えられますよね。しかし安直な個性ほど邪魔なものはない。
最近、日本やアジアをきちんと見なきゃいけない、フェイクの問題も写しの観点から再解釈したいとも思いますし、アジア美術をもっと知りたいと思っています。岡倉天心の目に見えていたものを僕も見てみたいという欲求が時々起こるんです。アジア美術に働いていた情動、インドに何が起こってきたのか。中国の人々は儒教を通して何をやろうとしたのか、韃靼人が万里の長城を越えて何を得ようとしていたのか。そういう情動みたいなものの痕跡が美術に残っているかもしれないと思い、アジアの美術を見ようと思っているんです。
そこで時々行き当たるのがフェイクという問題です。例えば、茶碗はロクロでつくるのでおのずと相似反復が生まれます。相似反復の中に茶碗ができてくると言ってもいい。つまり、前の人がやったことをそのまま自分もやって、その微差の中に、これはいい、これはだめというのが見出される。「なんでも鑑定団」のおじさんがやってきて、これは年代が違うから「偽物」って言ってるけど、美術は考古学じゃない。年代を超越して真偽の定まらない本質が「偽物」の中にもあるように思える。「絶対音感」のような尺度で見るとフェイクにも確実に何かが宿っている気がするんですね。だからオリジナリティとかものの価値は、本当はどういうところに発生するのだろうかと。
高橋人跡未踏を否定はしないんです。表現するからには、これまでの人より一歩踏み出したものがなければ表現する意味はないだろうと思うんですね。でも、それは自分の名誉のためではない。表現の名誉のためであって、自分はそのための道具である。でないと自身は救われないと思うんです。これは私だ、これは私だと言っていたら、常にそれは渇いていますからね。
悪魔について聞いたことがあります。悪魔の本質は人間を堕落させること。誰かを堕落させても満足を得ないで、また次の人を堕落させなければならないという永遠の渇きなんだそうです。自己主張というのはそういうところがあって、永遠に渇くので救われないと思う。僕も自己主張は自分の中にすごくあるんですよ。あるからこそそう思ったんだろうけれど。でも、地獄を越えなければ表現する意味はないので。表現することに自分を預けて、そのことで自分が清まろうとすることが表現ではないか。
原清まろうとする……。
高橋はい。いいものはどういうものでもそういうところがあるのではないかと思いますね。自己主張は濁ります。自己主張から始まっていいのだし、功名心は誰にでもあります。よく考えるとね、ドストエフスキー、マラルメ……僕より千倍も一万倍もすごい人ですけれど、そういう人といえども、今から一億年経ったら消えてなくなってしまいますからね。「私」を主張しても、死んだら段々希薄になっていって、高橋睦郎ってなんだったのかってなりますよ。生きている時でも他人から見えている僕は、過小評価、過大評価、誤解のどれかですから、正しく評価されるなんてことはありえない。自分自身にだって分からない。いつもずれているわけだから。
自分の表現を褒められるのは嬉しいことですが、表現者である自分が忘れ去られて、自分が表現したもののどこかの部分が、どこかの誰かに記憶されていることがあったら、一番幸せなことかもしれないなと思いますね。その意味で、日本の芸術の歴史の中では、宗達や写楽の伝記は全く分からないんですね。それがいいなと思います。
商業デザインについて言うと、もともと記名の世界ではないですね。無記名の世界の部分がありますね。僕はとてもいいことだと思います。これは恵みですよ。つまり神の代わりに商品があるわけですから。それを売らなきゃいけないという至上命令があるわけでしょ。だからそれは神に代わるものですね。そのことにその人の持っているものを献げるということ。
原消費も複雑になっているので、神様のかたちも不明瞭になってきているような気がします。広告というもののかたちも曖昧になってきていて、NDCの草創の頃のコピーは、確かに商業という神の代替があって、無記名の、何かをつかもうとしている痕跡を見ても気持ちいい世界がありますけど。
糸井重里*さんというコピーライターが出てきて、「不思議、大好き。」「おいしい生活」というコピーをつくった。消費が複雑になって、消費者も擦れてきた。それまではいい商品をうまく伝えると、消費者もよく分かってうれしいという、単純な関係があったと思うんです。その後、広告というものはどうせ嘘をついている、広告は都合よく言っているにすぎないと、広告自身が告げながら、受け取る側もそれを承知して言葉ごと飲み込んで消費するという、お互いに擦れきった関係が明らかになった。そういうふうに一巡してくると、広告の言葉はとても難しくなってきている。
高橋ただ言葉は本来、そういうもので、神というものもそんなに単純じゃないですから、今ある状態も言葉のあり方であり、世界のあり方であると思っています。そのことが違うほうに行っているとは捉えていませんね。糸井さんにしても、仲畑貴志*さんにしても出るべくして出てきた人だなと思います。
しかし「言葉」は「もの」に対してあるとすると、その間には必ずズレがありますから。そのズレは常に増幅していきます。「言葉」と「もの」の関係は難しいが、「言葉」というのは「もの」と即対応するものでもない。
「言葉」は何かを伝えるためにできたと思いますが、できてしまうと、「言葉」もひとつの存在になってしまい、それ自体が存在してしまって、「もの」と一対一の対応を必ずしもしなくなって、言葉自体が自立しますね。例えば、詩の言葉について言うなら、何かのメッセージではあるが、必ずしも意味ではない。意味だけではないということです。
僕は現代文同様、基本的に古文に抵抗がない。苦手でないのはなぜかというと、小学校の3年の時、改造社の日本文学全集があって、今もボロボロになってありますけれど、『少年文学集』の一番初めが、
原ところで、書籍や活字と言葉との関係はとても深いと思うんですが、最近、「紙」について考えることが多いのです。「紙」というのは、印刷メディアであるということよりも、むしろ白いこと、張りがあることが大事なのではないかと思うんです。
つまり、安定して白いものは自然物にはあまりないところに生まれてきた紙の「白」はとても強烈なイメージを人間に与えたと思うのです。そして、紙には、指で持つとぴんと立つくらいの張りがあった。触るとすぐくしゃくしゃになる弱さとともに。そのような白くて張りのあるものに、取り返しのつかない墨やインクで図や文字を記したわけです。白くたおやかな、とても壊れやすい、切実な物質の上に取り返しのつかないことをしでかしてしまう。そういう行為を繰り返す中に、言葉が展開されていった。取り返しはつかないけれど、もしも素晴らしい成果を残すことができれば、それはずっと後世まで残るものとなっていく。そのようなイマジネーションが言葉を加速させたのではないか。単に印刷技術で、何かが複製されて、というよりも、白い紙に言葉を記すという原初的なイマジネーションこそが、実はとても重要なのではないかと思うんですね。
それが今日、どんどん変わっていこうとしているのではないかと思います。ネット上の文章でも推敲はできるとは思いますが、電子メディアの中では、言葉は安定していません。常に流動している気がします。いつでも誰かが書き直してしまえるし、自分も書き直すかもしれない。音楽家が聴衆の前で演奏しきってしまうように、あるいは舞踏家が観客の前で舞踏を演じきってしまうように、取り返しのつかない不可逆なことが、紙の上で起こり定着されるというイメージはとても重要だと思います。推敲された言葉を、活字としてそこに置くというイマジネーション自身が何かを生み出し続けてきたのではないかとも思うんですが。
高橋舞踏や演奏というようなものは、人の中に印象は残しますが、1回ごとに消えますね。紙に記されたものは、ある時間がくると紙も劣化してはいくが、消えないし、新たに印刷すれば、無限に複製できますね。そのことの罪深さはあるでしょうね。
おっしゃるように、最終的に大事なものは「白」ということでしょう。「タブララサ(白紙)」の状態。何もないことの比喩なんですけれどね、それが重要なんです。言葉よりもっと重要なのは、沈黙です。光よりも重要なのは闇です。白い紙は闇の比喩だと僕は思う。逆転した比喩ですね、何もないということは。リルケが闇は光よりももっと本質的だと言っている意味で、白い紙は闇を逆転させた比喩だと僕は思っているんですね。
大事なことは言葉の前に沈黙があって、沈黙の中で耐えられなくなって、言葉にするわけです。しかし耐えられなくなるまで待つことが、現代ではだんだんできなくなってしまっている。耐えるまでいかないところで早まって表現してしまうから、とてもうるさくなるし、早まって、自他ともに清められもしない。
原清められるという感覚はなるほどと思います。我慢できなくて闇の中に光を発生させてしまうように、言葉が点々と白い紙の上に置かれるということと、清められるというイマジネーションの関係は深いのではないでしょうか。
高橋深いと思いますね。とにかく書かなければ仕方がないですから。最終的には書かれたものがいつか消えていくというのが大事だと思う。
僕が中学生時代から最も影響を受けた人は、折口信夫*なんですね。彼は日本文学、日本の学問の人だという思いがあった人だから、日本ということに限定して言いますが、「日本語の詩歌の中で、最も優れたものは、何も言っていないものだ」と言っている。彼は「雪をつかむ」という比喩をよく使うんです。雪はいつか溶けて、冷たかったという記憶を残すだけで何もなくなるでしょう。それが表現の極意だと彼は言っています。
原うーん、なるほど。
高橋たぶん、そういうものかなと。彼は、日本語と言っているけれど、それは世界に広げても言えることですね。痕跡が残らない。ほのかな記憶もやがて消えていく。それが一番素晴らしいことかもしれない。
深いところで、仏教の一番基本であるニルヴァーナということにも通じる。僕達が触れてきた仏教は、大乗仏教の果ての果てですから、矛盾ではありますけれど。釈迦牟尼(ゴータマ・シッダールタ)という人が説いた、人間の理想的なかたちとは、輪廻という輪から脱落して、無になって全く消えてしまうこと、それが最終的な救いだ、到達点であると言っている。それともどこかで通じるかなとは思います。
おもしろいのは、折口さんの歌は、そういうものになりえているかといえば、彼の歌は消えないんですよ。変な油のようなものが残る。むしろ斎藤茂吉の歌のほうがふさわしい。折口さんは毒、不純なものをたくさん持っていたから、それを消したくて、そういう思いに到達したのかも、と思いますね。
原とても印象的なお話です。僕らが表現をしていく資源となるものはそれですね。折口信夫の言っている雪のように消え去る感覚が日本の「資源」だと思うんです。その感覚は、仮に僕らがだめでも、後の世代に引き継がれて復活するようなものでもあるかもしれない。はかなくも強靱な。日本は文明的に非常に大きな混沌を抱えていますが、将来やがてどこかで澄んでくるかもしれない。僕らは少しでも澄み始めた感覚に耳を傾けて、そこから何かを掬い出していきたい。
日本は戦後、工業国と言われていまして、日本の誇りの一端がGDPにあったような時代もあるんですが、それも少しずつ変わってき始めた。すると次は何かというと、ものづくりではないかもしれない。それは美意識やホスピタリティのようなものかもしれない。
僕の中で最もショッキングな世界の変動は、中国の経済的勃興です。そこに生まれる巨大な混乱に巻き込まれると、僕らが持ち始めた誇りや、澄み始めた感覚が、再び打ち砕かれて混濁してしまうのではないかと。ではどう維持するか、と考えてしまいます。やはり、日本の重要な感覚資源として今おっしゃった折口信夫のような感覚があると思うんですが。
高橋パリに長年住んでいた友人が日本に帰ってきて、京都の
「日本は何もない、何もないのが日本なんだよ。何もない『無のるつぼ』が日本なんだ。しかし『無のるつぼ』は、外のものをそこに吸い込むんだ。外に出すときには、別のものに変えてしまうんだ」と言いました。最後に三島さんがそういうことを見ていたなら、彼のショッキングな死のイメージも救われる気がする。だから何もないことを大事にしていきたい。
今、岩波書店の『図書』に連載していて、2009年12月号では「切れ」ということについて書いています。「切れ」というのは、日本の文化のひとつの特徴であろうと。前のものを切っていくというのは、もとのかたちを本当の意味で希求するために切っていくというのが、僕が今、達している段階のひとつの考えなんですね。
原「切れ字」の切れですか。
高橋そうです。例えば俳句で言うならば、日本の文学の究極のかたちは五七五になっているけれども、その前の切った七七ですね。短歌の下の句を切ることによって切ったものを切実に希求するといいますか。それより前に戻れば、短歌は長歌を切っている。というように、「切れ」が常に連続していくのが日本の在りようだと、今のところ捉えています。
その一番のもとはどこにあるかと言えば、失笑を買うことなんですが、日本列島がユーラシア大陸から切れたことだと思う。切れていることは日本の運命なんです。ユーラシア大陸から来たものは日本に来たら出て行くところがない。ここが最後の吹き溜まりになって。それが地層のように溜まっていくんですね。大陸では新しいものが出てくると、前のものは滅びざるを得ない。だが日本には滅びず全部ある。芸能ひとつとっても、雅楽も純粋な意味では日本にしかないです。平曲もどうにか残っている。能、狂言も、歌舞伎もある、人形浄瑠璃もある。それが全部共存していますね。こんな奇怪なまでに豊饒な国はないだろうなと。
原それは我が意を得た思いがします。地勢的な日本列島の位置も含めて。ユーラシア大陸を90度回転すると、パチンコ台に見立てることができて、日本は一番底の受け皿の位置にあると、高野孟さんというジャーナリストが『世界地図の読み方』という本で書かれていた。僕はそこに示された図を見て目から鱗が落ちるような気がしたんです。
おっしゃる通り何もないのが日本だと思います。日本は世界中のあらゆるところから影響を受けてきた。世界は複雑さから始まっていきますね。シンプルとは対極の、稠密なる力とでも言うか、あらゆる文化が競いの中で力を蓄えて、イスラムもインドも中国も絢爛たる文化をみなぎらせていた。そういったさまざまなものが、全部日本に入ってきた。絢爛たる文化の影響下に置かれていた。これは多分に大陸から切れているという地勢的なものです。
しかし、ただ影響下に置かれるだけでなく、あらゆるものを受け容れた果てに、それを止揚することが起こる。究極的にプレーンな感覚を生み出して、複雑な世界に対峙していくようなことが起こっている。室町時代の真ん中へん、応仁の乱の後のあたりに、究極のミニマルなものが生まれてきたように見える。
高橋絢爛たるものが日本にたくさん舞うが、最終的に何もないものが残るでしょう。それがとても豊かであり、そういったものこそ、後世に手渡されていく。それがグローバルな世界に対して何か日本が発信できるものかもしれない。僕らは何もないところから来て、また何もないところに行くわけですから。それが一番自然なことかもしれなくて、それが財産として日本にあるとすれば大事にしていきたいと思いますね。
例えば『源氏物語』、あれは当時としてはあらゆる文化のるつぼです。いろいろな趣味生活、世界観、全てが入っている。最後にどうなるかというと、主人公が消えてなくなるんです。それが「雲隠」の巻です。その後の宇治十帖にしても、薫の大将と浮舟の関係も結局何もなくなってしまう。そのことによって深い慰めを僕らに与えてくれていると思う。最終的に何もなくなるということを日本の財産、できれば人類の財産にしていくことがいいのではないか。その周りに言葉も存在するので、最終的にはなくなってしまうのがいいと思う。
原「切れ」というのは、そういうことなんでしょうね。ひとつひとつの印象をあるところで昇華していく。雪のようになくなって新しい言葉が生まれるという、その新しい言葉の前に「切れ」があるということですね。僕は、ずっとそういうことを考え続けていたところもあったので、高橋さんからのお話をいただいて、今、すごく腑に落ちました。
確かに、やればやるほど、「何もない」の運用になります。レイアウトなんかやっても本当に文字だけでいい。派手な書体はいらない、書体を意識させないような普通に簡潔な文字を気を入れて組むだけでいい。字間と行間を精緻化するだけでいいと。そうすればするほど逆に受容力は逆に増す感じ。「切れ」で昇華させていくイメージの消息が、自分が感じている日本なのかなと思いました。消えた雪の感触がまだ手に残っているような。そういった感覚をこれからの世界の分脈の中でうまく運用できると、とても素晴らしいものが表現できるのではないかと思います。
高橋これからの若い人に読んで欲しいと思うのは、折口信夫、白川静*、大野晋*の3人の著書です。あと、網野善彦*かな。この人達は、学者だけど詩人的なんです。学問の世界では、この人たちは正当な評価を受けていません。僕は最近、岩波新書の漢字のことを書いた本を2冊読みましたが、参考文献に白川さんの名前は一字も出ていなかった。アカデミズムが拒否するわけです。小学館の『日本国語大辞典』の中の言葉の解釈。そこにも大野晋さんの言説が一行も出てこない。でも、折口信夫さんの時代にたくさんの学者がいたけれど、みんな忘れられて、折口さんだけが残ったんです。どんな学説でも検証してみれば、全て仮説なんです。結局どれだけ思い込みが強いかが勝負だと思うんですよ。
原そうですね、人の頭にどれだけイマジネーションを残すかということですよね。演繹でも帰納でもなく、仮構的な行動の踏み出しの中で、人の頭にどれだけポエジーを渡し得るかっていう、そこに言葉の価値も表現の価値もあるんじゃないかと思います。
高橋そうです。後の人がそれに触れて、そこで励ましを得て、次に何かを表現したくなるということが大事ですね。批評というのは、批判することではなく、そこから新しいものを生む力が批評です。そうでなきゃ意味がない。うっぷんを晴らしているだけになるから。それは気をつけないと。
原最後に質問なんですが、老子の言ったこと、タオイズム=老子の「無」と、折口信夫さんのいう「雪をつかんで心象を残すが、何も残らない」という感じは、違うのではないかと思うんです。どこが違うのか明快には言えないんですが、老子は構造的ではあるけれども、感覚的ではないと。その違いはどこだろうかと。
『白』という本を書いたとき、実は「emptiness」つまり「何もない」ということを書こうとしたのですが、論理的に老荘思想と近似したイメージになってしまうと考えて、もう少し違う言い方を探して「白」に辿り着いたんです。
高橋これは難しい問題ですね。最も突き詰めて考えたのは仏教だと思う。仏教は、あらゆることがないと言って。そしてないということもないと否定します。本当の何もないという……。言葉は限定する作用ですから。
原「ないということもない」という言い方は数学(論理)的で、感覚的ではないですよね。「雪をつかむ話」はとても感覚的。お話を聞いていて、まさにそういうことだと思ったんです。仏教は数学記号に置き直してもいいように思えますね。
高橋そうです。原仏教の基本は宗教というより論理です。そういうところまでいかないと救われなかったという当時のインド社会の現実があった。どちらも排除すべきではなく、折口さんのような非常に人間的な考え方。もうひとつ「無」さえも否定してしまう「無」、否定の永久運動。その両方を自分の中に持って生きていかなければならないと思う。
原数学的な感動というものもありますからね。
高橋ありますよ。なんて世界は美しいのかと思うために数学をやるんだと言った人がいますよ。湯川秀樹さんの一番下の弟、小川環樹さんという人は、中国の音韻学の泰斗ですけれども、「なんで、先生は音韻学に取りつかれたんですか?」と聞かれて、「韻というものの構造が実に美しいからです」と言っていました。
原「切れ」はとても文学的で美しいと思いました。
高橋なくなったものを希求するわけですからね。
原こころの残響を意識させるものですね。ありがとうございました。勉強になりました。
2009年10月28日















