Aug. 2015

フォトグラファーがいつも心に置くこと フォトグラファーがいつも心に置くこと フォトグラファーがいつも心に置くこと

遠藤 匡/画像制作部 撮影グループ リーダー/ チーフフォトグラファー

その場にいる誰よりも冷静に被写体と向き合わなければならない。

遠藤 匡

画像制作部 撮影グループ リーダー/
チーフフォトグラファー

1974年静岡市生まれ。慶応義塾大学商学部卒。フリーランスで活動後、2005年日本デザインセンター入社、現在画像制作部撮影グループに所属。トヨタ、レクサスなどのカタログ撮影に数多く参加、近年は映像撮影にも取り組んでいる。「Lexus RC-F」「シャア専用オーリス・プロダクト映像」など。

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こんにちは、遠藤匡です。フリーランスでのアシスタント経験を経て、日本デザインセンターのカメラマンになりました。最初に写真と接点を持ったのは大学2年の時。一般教養科目の中で、シンディ・シャーマンや荒木経惟の作品を取り上げ、写真の読み解き方を学ぶという講義がありました。私小説にも社会へのメッセージにもなり得る写真表現の奥深さに触れ、自分でもカメラを手にするようになりました。最初は街を歩きながら風景や建築物を撮っていましたが、飽き足らず、大学4年の頃には写真の専門学校の夜間部へ。それからは昼は撮影にアルバイト、夜は写真学校の授業を受けてからプリントと、大学に行く時間がすっかりなくなってしまうほど、写真漬けの毎日が始まりました。

入学した写真学校は、テクニックを学ぶよりも写真の本質に迫るための講義が多い学校でした。例えば自分の作品をプレゼンする際には、撮影時の状況や想いを一切排除し、写真を客観的に分類することを求められました。自分でこれだ!と思った写真も、「1歩踏み込み方が足りない報道写真」や「珍しさで撮った無反省な観光写真」などと評されることが多々あり、後になって振り返ると、確かにそう見えるんです。写真への的確な批評ができることで適切な作品を生み出せる、ということが言いたかったのでしょうか。作家でも商業写真でもプロの写真には客観性が何より大事。その場にいる誰よりも冷静に被写体と向き合わなければならない。それはあれから約20年経った今も肝に銘じていることです。それと同時に、求められているのはクラリティ(=わかりやすさ)とその場において適切な“言葉”を選びとることと認識しています。そのためアングルやレンズ、ライティングで逐一変わる写真言語の変化を知り、見極めることが大切だと思っています。

僕の撮影はクルマがメインです。現在ではムービーとスチールの垣根なく仕事を進めていますが、 スタートはフィルムの時代で、フィルムからデジタルへの移行期、スチールとムービーのボーダレス化、その変遷を仕事の中でつぶさに体験してきました。ムービーの撮影を開始したのは、一眼レフの動画機能が飛躍的に向上した約5年前から。機材にはスムーズに慣れましたが、当時はなかなか撮影には馴染めませんでした。というのも時を止める写真に対してムービーは目の前のリアルをそのままに映し出すメディア。わずかな迷いや被写体を追う少しの遅れも、すべてモニターに映し出されてしまいます。初めはとても緊張しましたね。しかし手法は違いますが、根本を辿れば大事なのは被写体をいかに魅力的に見せるか。本質は違いません。また仕事や日常の中で記憶の中に無数に留めてきたクルマが美しいと思える瞬間は、次の仕事のための僕の財産だと思っています。

じつは一年間のうち家や会社にはほとんどいません。ロケへスタジオへと遊牧民のような生活です。自宅でゆっくり過ごす時間は良いものですが、朝から晩まで同じ職場に行って同じ仕事をすることは僕には無理だっただろうな、と思います。そうした生活の中で、ロケで行ったロサンゼルスでのこと。たまたま入った古本屋で、学生の頃によく眺めていたドイツの写真家、ベッヒャー夫妻の作品集を見つけました。溶鉱炉や給水塔などが標本のように並べられた写真は、見る側がいかようにも受け取ることができるものです。価格は確か約200ドル。少し高めな理由は、ファーストエディションだからだと気がつきました。写真を教えてもらった写真集に、カメラマンとなって訪れた土地で出会うという偶然に、これも縁と購入しました。写真と出会ってからずいぶんと経ちましたが、やはり原点はここにあるという気持ちがあります。これまでの10年と同様、これからの10年もいくつも変化の波があると思います。原点を胸に、そして新しい領域に目を開いて、これからも止まることなく走り続けるつもりです。

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