列島に目を凝らす

列島に目を凝らす

日本列島という国土をどう生かすか。これが日本という国の永遠の課題である。アジアの東の端に、大陸から離れ島々の連なりとして存在する。これは世界の地勢から見てもかなり個性的なことである。
大きな島が4つ。九州、四国、本州、そして北海道。それぞれがほどほどに接近しているので、海底トンネルや巨大橋を架けて、今ではひと続きになった。四つの島には元来「島」という名称はついていない。つまりこの地に住んでいる日本人にとって、これらは「島」ではない。海によって他の世界から隔絶された十分に大きな陸地すなわち「くに」なのである。それ以外の無数の島々には「島」という呼称がきちんと付されている。
隣国との境は海であり、それゆえ境界という観念は明確だ。韓国や中国、ロシアとの間は海。アメリカも太平洋を挟んだ遠いお隣さんである。だから日本には、世界から明瞭に独立しているというイメージが濃厚にある。自ずと「くに」というアイデンティティも強く育まれ、日本語というもう一つの祖国がさらにそのアイデンティティを強固なものへと搗き固めてきた。
一方で、気候風土も独特である。中央アジアのヒマラヤ山脈が8,000m級であるために、偏西風が南に迂回し、湿潤な大気を日本列島上空に運んでくる。これが山々にあたって雨や雪となり、国土の大半を覆うこんもりとした森を生み出すもとになっている。水に恵まれた国土は急峻で、山から海へと毛細血管のように走る川は、大陸の滔々たる大河と比べると流れも速く滝のように俊敏である。火山活動によって出来た大地は変化に富み、温泉がいたるところから湧きだしている。

身体と情報のパフォーマンス

今日の電子ブックは過渡的なものである。いかに薄くなろうと「物体」を持ち歩くのは煩わしいというような観点から考えると、眼鏡のような器機から直接網膜に投影するという方法が、文字情報を送受信する方法として最も合理的だそうだ。イヤホンは既にそうなっている。将来的には電子ブックを手にするよりも、目と耳という感覚器官に近いところに器機が集約されていくのかもしれない。立体映画の字幕のように、文字は空中のしかるべきレイヤーに浮遊することになるのだ。
一方で、人間の身体は目と耳に集約されるものではない。視聴覚以外の感覚を含めた、身体感覚の充足について、人類は変わることなくどん欲である。たとえば、睡眠は意識のオンオフのみに還元されても快適ではない。したがって、暖かくふかふかのベッドに身体を横たえた状態で少しずつ眠りに落ち、やわらかい枕に頭を沈めた状態で目覚めるというような快適さについては、変わらず探求され続けるであろう。
テレビやスピーカーがいかなるかたちであるべきかという問題は、長らくプロダクトデザイナーを煩わせてきたが、これらは「壁化」することでなくなるかもしれない。照明器具も同様だ。しかしシャンデリアをどうしても天井から吊るしたい、という人々は根強くいるだろう。フォークや皿は残るだろうし、ワイングラスや花瓶も然りである。インテリアが身体にもたらす快感や、食の営みが人間の感覚をいかに満足させるかという点は、未来の読み物を考える際にも、考慮されるべき点であると思う。
また、全く別の角度から言うと、書籍は「書棚をなす」ことを暗黙の成果として収集されてきたものでもある。偉大なる知の業績を世に残した人々は言うに及ばず、さしたる成果を残し得なかった人々も、目を見張るべき書物の集積を世に残すことによって、いかなる知の高みの住人であったかを世に示すことができる。冗談のようだが、実際、自分も素晴らしく吟味された書棚からインスパイアされることは少なくないし、大学などの知の殿堂も、膨大な歳月を越える知の蓄積を書籍の集積として表現してきた。これらを全てデータに還元することを人々は歓迎するだろうか。
紙の束に非効率な大きさで文字を印字するという書籍は、実に大げさな情報芝居であることは間違いない。しかしシャンデリアを飾り、書棚という大げさな情報芝居を楽しみたいという欲求にも、僕らは耳を貸さなければならない。
最近、石器時代の「石器」の美しさにほだされて、そのひとつひとつを高精度の写真に撮り、紙の書籍に仕立て上げた。ずっしりとボリュームのある本だが、さらに、1.5ミリ厚のアクリル箱を仕立てて本をそれにおさめている。まるでガラス容器に収められた学術標本のような風情だが、リアルな石器の標本のような重厚な雰囲気を醸し出している。この辺りにも、もうひとつ、本の未来があるのだろうと僕は思っている。

「未知」に気づかせる

情報デザインの一つの切り口は「わかりやすく明快に」ということです。色々なものを一緒に詰め込まない。動く現実を簡潔に集約して人の頭に焼き付ける。人の限られた時間を情報の理解のために無駄に消費させてはいけない。高度に編集されていれば、瞬時に理解を生み出せる。
人がわかるというのはそんなに複雑ではなくシンプル。円グラフ、棒グラフ、折れ線グラフの三つだけでも、適切に使えばかなりのことは表現できる。それを視認できる大きさと色で的確に表示する。どういうデータを元に何を語るかという、論理の明快さと連続性が重要なのです。
別の観点もあります。先ほどと逆のようですが、コミュニケーションとは、相手にわかったと思わせることではなく、「いかに知らなかったか」を覚醒させること。情報を与える「インフォーム」に対して、ぼくは独自に「エクスフォーム」と言ったりしています。知っているつもりのものを「未知化」していく視点。できるだけ少ない、整理された情報を使って、結果として「もっとわかりたい」という主体的な能動性をどれだけ引き出すかが肝要です。

ゆっくり立ちあがる大国と

ゆっくり立ちあがる大国と

かつて何もなかったムンバイの海は今、クルーザーで満たされている。インドは二十歳の頃にリュックを背負って歩き回った。経済成長の波で都市の景観は激変しているが、街の底を流れている空気は変わっていない。雑踏に入ると、野良牛、野良犬、野良かどうか分からない豚や猿、なぜ歩いているのか分からない象までいる。動物は皆リラックスしきっていて、犬も豚も道路に真横に寝ている。まさにヒンディーの世界だ。街には相変わらずオートリキシャというバイクに幌をかぶせたような移動体が走り回っている。パーソナルモビリティが移動の未来を拓こうとしている今日ではこれが案外と未来的に見える。20万円のTATA自動車「ナノ」を何度も見かけたが、決してぽんこつという感じではない。
デリーとムンバイで現在のデザイン界を牽引する才能たちに会った。欧米への留学で世界の素性をよく学んでいる彼らは、インドの個性をグローバルな文脈に繋ぐのがうまい。皆英語を話すので外国とのコミュニケーションも早い。家具や服飾、雑貨等も欧米市場に着実に入り込み始めている。インドの手仕事のデータベースを作ろうとしている人もいて、これは迫力だなと思った。カーストの名残もあって服をつくる層の人は服をつくり、家具もまた然りで、平均的な家は今でも決まった職人に衣服や家具を発注する習慣があるそうだ。そういう状況を俯瞰しつつ、才覚のある人はもの作りを上手に差配して、インドの手仕事を世界に売り出そうとする。
しかし、そろそろ欧米で評価されるという受け身の発想を切り替えて、アジアという大きな文化圏や市場を一緒に掘り下げましょうと提案すると、思いのほか強い賛同を得た。西洋に評価されるのではなくアジアの美意識を世界で機能させる。そういう意欲の共有が新しい状況を拓いていくように感じた。

人類縮退化社会へ

人類縮退化社会へ

人類は記録に見る限りは増加を志向する生物であった。氷河期などの気候変動に起因する人口の減少や、疫病の大流行や戦争がもたらす人口減少はあっても、安定した営みが継続している状況での人口減少はこれまでなかったのではないか。レヴィ=ストロースなどの文化人類学者があぶり出してきた人類の営みは、繰り返し繰り返し生の横溢を謳歌する行動パターンであり、女が男に「贈与」され、男の所有となるような文化の「型」も、巨視的には子孫の繁栄、すなわち人口の増加を暗黙裡に豊穣のバロメーターと認識してのことではなかっただろうか。しかしながら人類はついに減少を始めたのである。成熟した文明社会において、女は出産と育児という、自身の社会的能動性を制限する要因をできるだけ低く小さく抑えるようになり、子供を産んでも1人だけという傾向が徐々に顕著になりつつある。世界の趨勢はそれでもまだ増加傾向を示しているが、先進諸国の大半は人口減少へと進路を変えようとしている。これは人間世界の本質が変わっていく、非常に大きな変節点なのかもしれない。王や独裁者が君臨する社会において、個の自由は抑圧されてきた。しかしそれでも人々は増え続けた。国と国との軋轢が個人を押しつぶすような大きな戦争を経ても、人類は増加を続けた。原子爆弾が投下されて何十万人という命が一瞬で奪われても、それでも人々は増え続け、都市はやがて破壊前を凌ぐ人口であふれた。しかし今、かりそめといえども平和の中で人類は減少を始めたのである。子供を産み育てる繁栄の喜び以上の享楽がそこに見つかったからか。あるいは存続への本能がこれ以上の増加を危惧して過度な繁殖にブレーキをかけているのか。日本は、そのような趨勢の先頭を切って、老齢化社会へと移行しているのである。昭和のはじめに6,000万人だった日本の人口は、2000年を過ぎる頃には倍以上の1億3,000万人近くに達したが、今後は同じ歳月をかけて縮小し、今世紀の終わり頃にはふたたび6,000万人程度になると言われている。日本になにが起きているのだろうか。

自由の行き着く先


放射能汚染にしろ、相撲の八百長事件にしろ、情報の開示が叫ばれている背景には、いかなる問題にしろ、中枢の人々が密室で解決にあたるのではなく、開示と共有を通して無数の知の連鎖にそれをゆだねることによって、より早く最適な解答にたどり着けるのだという発想が常識化し始めているからだろう。熱い衆愚ではなく冷静な集合知が、最も無駄なく合理的な解決をもたらすだろうという、これは思想というよりもある種の感受性のようなものが社会の中で機能しはじめている。個々の人々の自由が保証され、誰もが欲しいだけ情報を入手することの出来る社会においては、人々は平衡や均衡に対する感度が鋭敏になる。したがって「夜なべをして手袋を編む」ような、アンバランスな献身を発揮して子育てや家事にいそしむ母のイメージは支持を得られない。女性は社会の中に相応のポジションを得て、賢く損のない人生を生きようとする。少子化の根は、育児にお金がかかるからという単純な理由にあるのではない。全ての人々が自由を享受する社会の趨勢に根をおろした現象なのである。

能動性の規準は若さではない

能動性の規準は若さではない

「能動性」の根拠を「若さ」や「年齢」に求めるのではなく、「購買力」や「経験値」、「目利き」や「破格」などにおくと、これまでとは別の能動性や市場をこれからの社会に喚起できるのではないかと思うのである。ロック・ミュージシャンのミック・ジャガーは68歳。年齢的には立派な老人だが、そういう認識ではとらえにくい。若さは既にないが、多くの時間をロック・スターとして生き抜いてきたことで強烈な存在感が醸成されている。老齢化社会を考える時、いつも僕はこの人物を思い出し、一つの態度に回帰する。そこに平衡や均衡への配慮はない。あるのは超然とした大人のプリンシプルである。

自転車で走る未来

自転車で走る未来

北米の西海岸、オレゴン州にポートランドという街がある。スポーツシューズで知られるナイキの本社や、古書と一般書を同じ棚に並べるので有名なパウエルズという巨大書店などがあるが、都市として派手な存在感があるわけではない。しかしエコロジカルな洗練とでも言おうか、古いビルや素材を大事に再生させながら、ピカピカの都市にはない住み心地を体現している。
この街に「ワイデン・アンド・ケネディ」という広告会社がある。そこのパートナーの一人で、かつて日本に同社の支社を開設し、ナイキやユニクロの広告で注目を集めたクリエイティブディレクター、ジョン・C・ジェイから、ぜひポートランドを見てほしいと何度も言われていた。知的で精力的なクリエイターである彼がそれほど言うのだからと、以来ずっと気になっており、北米出張の折に立ち寄ったという次第である。
ポートランドの街は、市街地として開発をしていい地域と、自然を残さなくてはいけない地域の線引きが明快に出来ている。

被災からの復興

被災からの復興

被災地の空気に触れ、僅かながら現地の人々と接した感触から感じたことは、いわゆる復旧や復元ではなく、新しい未来型の構想を、土地の人々の意志とともに育てていくことが最も重要だろうということだ。現地の人たちにとっても、日本の他の人々にとっても、そして世界の人々にとっても、ここに新たに人知の先端が育まれていくというイメージが大事になるのではないかと直感したのである。
復興は、短期から長期へという展望の中で計画されるだろうが、まずは被災生活の物的・精神的援助と、仕事の創出がさしあたっての課題となる。仮設住宅のような居住の確保については、コミュニティや人間関係への配慮を十全にという声が多方面から聞かれ、この点については阪神淡路の経験が生かされているのを感じた。
問題は、壊滅的な被害の出ている街や産業をどう立て直していくかという長期の復興計画だ。元来、震災がなくても過疎や老齢化など、縮退していく日本の構図がそのまま現れている地域でもある。多くの犠牲者を出し人口を失っている地域を復元しても物事は明るい方向には進まない。高度成長とともに人口が増大している時であれば、被災の傷跡は街の自然な成長や拡大によって徐々に覆われていったかもしれない。しかし縮退する日本ではそうはいかない。老齢化に向かう人々が安心できる暮しを取り戻すことは勿論重要だが、それだけでは足りない。複数の街や港をまとめて、都市機能や港湾機能の効率化をはかるような、抜本的な都市の再創造が模索されている。
津波被害の後、真っ先に検討されるのは、津波の及ばない高台に街を作って、低地の居住をやめるという構想である。低地は確かに津波に弱い。だからそういう案を採用する町や村もあるかもしれない。しかし、解決策はそれだけではないだろう。おそらくは、建築や土木技術の先端性を携えて、異なる視点からの提案が出来る人々がいるはずである。中国など、アジアの新興国において、世界の知恵を集めて立案される都市計画には、これまでの常識を超えた斬新なプランを散見する。人類はレンガの時代もコンクリートの時代も通り超えて、頑強な人工地盤を構築できる時代に入ってきた。従って復興計画においては、港に近く温暖で景色もいい沿岸部に、集団居住のできる丘のような規模の新たな都市のかたちが構想できるはずだ。
三陸沖は世界で指折りの恵まれた漁場である。ここに漁業や水産加工業を復活させることは当然可能である。日本からでも世界からでも、現地の人々や産業を助ける資金は集まるだろう。また被災地域の平野部も、稲作だけではなく酪農や野菜の農地としての潜在性も高い。これを契機に集約的に事業性を見直すことが出来れば、農の未来に対しても意欲的な構想が描けるかもしれない。要は若者がそこに新たに移り住みたくなるような魅力や希望を、復興プランにどう盛り込めるかである。

知恵を集めるグランドデザイン

知恵を集めるグランドデザイン

無数の知の成果を受け入れる巨大なパラボラアンテナのような仕組みこそ、復興のグランドデザインに相応しいのではないかと僕は思う。中央集権的な上意下達ではなく、多種多様なアイデアの受容に最大の力点を置く仕組みである。
より多くの知恵を交差させ、互いにぶつけ合いながらアイデアの精度を上げ、それらを分かりやすく編集し、相応しいメディアを通して被災地の人々に届けていけばいい。被災地の人々はその提案を必ずしも受け入れる必要はない。しかし現実に追われる日々の中では考えつかない画期的な着想を手にする機会は飛躍的に増えるはずだ。
メディアは様々にあるが、こういう場合はネットもさることながら書籍がいい仕事をするだろう。震災直後の時期に誰がなにを考え、いかなる提案をしたか。そのドキュメントを正確に記録する媒体としては、流動性の高いネットよりも情報が固定できる書籍の方が信頼度も高いし使い勝手もいい。しかるべき機関が編集と発行を担い、アイデアの蓄積に応じて続々と号数を重ねていけばいい。ネットは知恵を集散するアンテナの役割を果たすだろう。被災地だけではなく、日本の他の地域や世界の人々とこれらの情報を共有することができたら、東北は希望の成長点へと転じていくはずだ。